子曰わく、礼と云い、礼と云う。玉帛(ぎょくはく)を云わんや。楽と云い楽と云う。鐘鼓(しょうこ)を云わんや。(「陽貨第十七」9)
(解説)
孔子の教え。「礼式、礼式、とやかましく言うが、大切なのは、並べる玉、帛であろうか。同じく音楽、音楽、とやかましく言うが、大切なのは、並べる鐘、鼓であろうか」。(論語 加地伸行)
礼にしろ、楽にしろ、そこで用いる道具も重要であることにちがいなのであろうけれども、その本質を知ることが大切なことであり、その精神をもって行動することがもっとも大切なことということなのだろう。
礼、自分以外の他者への配慮が規範やモラルという形になる。言葉に表すと難しくなるが、朝、「おはようございます」とあいさつし、他者が示してくれた行為には「ありがとうございます」と答える。そうした言葉がないと、感じが悪いとか、冷たい人のように見えてしまう。
時代時代で、礼式に変化はあるのかもしれないが、その本質が分かっていれば、自分以外の他者、相手に不愉快な思いをさせずに済むということなのだろう。
「之を知る者は、之を好む者に如(し)からず。之を好む者は、之を楽しむ者に如からず」(「雍也第六」20)
「楽」、何か知るから好きになり、好きだからこそ、動機になり行動が生まれたりする。行動するからこそ、「楽」、楽しさを味わえる。そこに「礼」が加わえることが「礼楽」の本質なのだろうか。
「関連文書」
(参考文献)