子曰わく、質 文に勝てば、則ち野(や)。文 質に勝てば、則ち史(し)。文質彬彬(びんびん)として、然る後に君子たり。(「雍也第六」18)
(解説)
「孔子の教え。中身(内容、本音)が外見(形式、たてまえ)を越えると、むき出しで野卑。外見が中身以上であると、定型的で無味乾燥。内容と形式がほどよくともに備わって、そうしてはじめて君子 教養人である。」(論語 加地伸行)
桑原の解説
質と文とを兼備して始めて君子ということができる。すなわち、質と文は人間文化にとって軽重をつけ難い重要な二つの構成要素だという。
「質」とはもとであり、実質さらに素朴を意味し、「文」はあやであるから、技巧、飾りさらに礼楽である。「彬彬」とは古注にいう「相い伴ばする貌(かたち)」。「野」とは野人または田舎者的ということで、「史」はもと史官のこと、文書などをつかさどる役人だが、ここでは悪い意味でのインテリないし文化人を指すという。
文化には強靭で素朴な生命力がなければならないが、それがそのままあらわれては露骨であり、野性的にすぎて泥臭い。それを人間化するためには、優雅な意味での人為が不可欠である。しかし、それが過度になり、そのためにもとが衰弱すれば形式主義の虚飾となり、悪い意味での文化主義に陥ることはいうまでもないと桑原はいう。
この二つを均等に兼ね備えることが、人間文化の具現者としての君子のなのであるという。
文学者桑原らしい解説である。
質 文に勝てば、則ち野
昨今の潮流は、この言葉にあったのかもしれない。利益偏重、成長重視のような本音が強い過ぎると、野卑、卑しくみえるということなのかもしれない。
(参考文献)

