孔子曰わく、命を知らざれば、以て君子と為る無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり。(「堯曰第二十」3)
(解説)
孔子の教え。「自分の天命を知り得なければ、君子 教養人たりえない。礼 社会規範を身についていない者は、人の世を生きてゆくことはできない。ことばを知らなければ、人間を真に理解することはできない」。 (論語 加地伸行)
「論語」の最終章。「命」「礼」「言葉」の3要素で構成される文章で閉じられる。
「命」、天命、運命、使命、そんな言葉を想像できる。
「礼」、社会規範。文化の一部を構成し、「内面化」を通して人格が作られる。
「言葉」、人の意志や思考、感情などを表現したり伝達する。言葉があって他者との会話が成立し、また理解を促進する。
「孔子」、姓は孔、名は丘、字名は仲尼(ちゅうじ)。孔子は尊称である。
孔子は、宋の国から魯へ移住してきた貴族の子孫とするのが通説とされている。
父は、叔梁紇(しゅくりょうこつ)といい、勇敢な武士であったという。
母は顔氏、孔子はこの両者の正規の関係から生まれたのではなく、私生子、庶子とされる。孔子が幼少のころは貧困な生活を送り、青年時代には職業を転々としていたことからしても、貴族的な雰囲気の中で育ったのではないことは明らかと桑原は指摘する。
白川静は、孔丘を巫女(ふじょ)の私生子だと考証している。
論語の言葉を通して、孔子を理解しようとすると、すごく堅物のような印象を受けるが、この聖人も生きていたときは私たちと同じように喜怒哀楽を持ち、何かに悩み、その答えを求めて、もがき苦しんでいたのかもしれない。
桑原武夫は、「孔子は音楽、詩歌などの芸術に深い教養と鋭い感覚をもっていて、これを楽しむことを知っていた文化人に違いない」といい、「彼に中には激しやすい何ものかが潜んでいた」ともみる。
「論語」、河合隼雄は、論語は朱子学の影響と日本人の国民性もあって、不必要に厳格主義的に受け止められ、現代人には無縁のものとされ感じられるほどになっているといいう。それに対し、桑原の視点で見る「論語」は、もっと親しみやすく、意味あるものとして提示されていると河合はいう。
普遍的な規範や道徳も、論語と同じように厳格的に捉え過ぎることで、日常のなかで無縁なものになってしまっているのかもしれない。
規範や道徳、この論語ももっと現代風に解釈していく作業が必要ということのでもあろう。
「命を知らざれば、以て君子と為る無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり」
人間愛「仁」を説くことを天命に、そのおもいやりを「礼」を通して表現し、言葉を使って伝えていく、そういうことなのであろうか。
(参考文献)