伯牛(はくぎゅう)疾(やまい)有り。子 之を問う。牖自(まどよ)り其の手を執(と)りて曰わく、之ぞ亡(な)からん。命なるかな。斯(こ)の人にして、斯の疾有り。斯の人にして、斯の疾有り、と。(「雍也第六」10)
(解説)
「弟子の伯牛が重い病気になった。孔子は見舞いに行かれた。孔子は病室の窓から伯牛の手を握っておっしゃられた。「こんなことがあってよいものか。運命だ。この人が、この疾に罹るとは。この人が、この疾に罹るとは」と」(論語 加地伸行)
桑原の解説。
伯牛は、徳行の人として知られていたという。その伯牛は癩病に侵されていたという。孔子は、病人がおそらくくずれた顔を見せたくないという気持ちを察して、窓から手を握るだけで別れたと読むのが自然だという。
その次の「亡之」とその先をどう読むかはいくつかの説があるという。
旧来は、孔子が直接伯牛の手を握りながら「亡之」といったという。孔子もあえて率直に君はもうだめだ、何ということか、とはっきり言ったのかもしれないという。死の恐怖についても近代人と異なった感覚を持っていただろう古代人をあまり近代風に解してはならないのではと桑原はいう。
しかし、人情という観点を導入するなら、徹底して簡野道明のよみに従ったほうが筋は通る。永の別れを告ぐて帰ってきた孔子が、側近にあるいは一人でつぶやいた、とするのである。あの秀才が駄目になった、天命というほかはない、あんな立派な人間がこんな不幸な病いに罹るとは、と愁嘆をかさねたのである。
また、桑原はこんな言い方もする。「伯牛は一廉の人物で、もう死の覚悟はできていたのだろう」と。癩病であれば、本人にその自覚があってもおかしくはない。そうだとすれば、孔子が直接、本人に告げたとする方が何か「論語」らしいのではないかと思う。その方が何か道徳的な示唆にならないだろうか。
(参考文献)