子曰わく、如(も)し王者有らば、必ず世にして而(しか)る後に仁ならん。(「子路第十三」12)
(解説)
孔子の教え。もし王者があるとするならば、きっと三十年にしてあまねく人の道を守る社会となるであろう。(論語 加地伸行)
「世」、俗体では「丗」と書くという。「十」という字を三つ重ねていることより、三十年を意味するという。
「王者」、天から政権担当の命を受けたものと加地はいい、政治的に読む。
産業界では、一事業の寿命はおおよそ20~30年と言われている。優れたリーダーによって推進される事業は30年で完成のときを迎えるということなのかもしれない。
企業が人々に届ける商品やサービスは「仁」の精神にもとづいたものでなければならない。そうすることで、真に世、人々に役立ち、「仁」ある世界になる。逆に言えば、己を利するだけの商品は、短命に終わることも意味するのかもしれない。
前章では、「善人 邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ちて殺を去る可し」といった。
こうしたことが三代にわたり100年も続くならば、世の中にいきわたり、一企業として勝ち残り、100年企業、老舗の誕生と読めそうな気もする。
渋沢栄一が書き記した「論語と算盤」には、「本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない」という行がある。
このようにいうと、「利益を少なくして、欲望を去る」とか、「世の常に逆らう」といった考えに悪くすると走りがちだが、そうではないのだ。強い思いやりを持って、世の中の利益を考えることは、もちろんよいことだ。しかし、自分の利益が欲しいという気持ちで働くのが、世間一般の当たり前の姿である。社会のためになる道徳だけでは、世の中の仕事は少しづつ衰えてしまうものなのだ。 (引用:「論語と算盤」P86)
さらに、栄一は、「自分の利益になりさえすればよい」、「他人などどうでもよい」という考え方に基づけばよいのだろうかと疑問を投げかける。
その上で、宋王朝時代の中国を例にして、「自分のことばかり考え、国家も関係ない、自分さえよければいいとなったあげく、国家が機能しなくなり、その権威は失われてしまった」と指摘する。「まず国家がしっかりしなくては、個人もダメになる」と腰をすえて考える人など、ほとんどいなくなる結果になったのだという。
一方、今日では自分さえよければいいという主義のために身を危うくするような状況がある。これはお隣の中国だけの話ではない。・・・(中略)
つまり、利益を得ようとすることと、社会正義のための道徳にのっとるということは、両者バランスよく並びたってこそ、初めて国家も健全に成長するようになる。個人もちょうどよい塩梅で、富を築いていくのである。 (引用:「論語と算盤」P87~P88)
「今日では自分さえよければいいという主義のために身を危うくするような状況がある」、 栄一の指摘が現代の日本にも当てはまるような気もする。
如し王者有らば、必ず世にして而る後に仁ならん
加地は、「王者」を天から政権担当の命を受けたものといい、政治的に読んだが、「天命」を受け「天職」を選び得た者を「王者」と読んでもよい気がする。好きでやる職業、それが大切であるということなのかもしれない。
世界一の自動車メーカになったテスラ、火星を目指すスペースX。それらの会社を経営するイーロン・マスクが、「企業は、自分たちが作っている製品が気に入らなくても、好きになってくれる人はいると考えることがある。しかしマスクは「そうはいかない」と述べた」とBusiness Insiderが伝える。
経営者が大好きではないものを他人が好むことなど期待してはいけない (出所:Business Insider)
(参考文献)