子曰わく、善人 邦を為(おさ)むること百年ならば、亦(また)以て残(ざん)に勝ちて殺を去る可し、と。誠なるかな、是(こ)の言。(「子路第十三」11)
(解説)
孔子の教え。善人が為政者となって百年もの時があれば、残忍な連中も感化し、死刑も不要となることができると、ある。本当にそのとおりだ、この言葉は。(論語 加地伸行)
「人の過つや、各々其の党に於いてす。過つを観れば、斯ち仁を知る」。「里仁第四」7
徂徠は、人民が過失を犯すとすれば、それは自分の住んでいる地域社会の感化によるもので、人民の過ちのあり方をみれば、そこの支配者である君主の仁つまり道徳の高低、その影響いかんがわかるという。
徂徠の読みに従えば、この章が言わんとすることもよく理解できる。
「子、子賤を謂う。君子なるかな、若(かく)のごとき人。魯に君子者無くんば、斯れ焉(いずくん)ぞ斯をとらん、と」。
「公冶長第五」3では、伊藤仁斎は、子賤を例にして、人間的接触による感化の深さ、その重要性を説いたと読む。
100年では長すぎるような気がする。それほど、仁の実践による感化には時間がかかるということなのだろうか。
(参考文献)