最近つくづくと、地球温暖化、気候変動の問題が深刻だと気づかされます。
北米を熱波が襲い、インフラに影響を与えているような惨事が起きています。「熱で割れる道路、溶けるケーブル」、少し怖い話ですが、現実のようです。
静岡県熱海伊豆山で、大雨による土石流が発生しました。衝撃的な映像です。原因調査が始まっているようですが、過去の開発の影響がありそうです。
気候が穏やかだったころには見られない現象が世界のあちらこちらで確認されるようになってきました。
人類が豊かさを求めた結果がこれだとすると、たいへんショックな現実です。国連がSDGs、持続可能な開発目標を設定する意味も改めて理解できます。
時計を巻き戻し、過去に戻って、温暖化の原因を正すことができればいいのかもしれませんが、そうはできません。困難、試練の時代になったとつくづく感じます。
逆境
「人にはどうしようもない逆境がある」と渋沢栄一はいいます。そして、その対処を「論語と算盤」で説いています。
どんなに頭を悩ませても結局、天命であるから仕方がないと諦めがつけば、どんなに対処した難い逆境にいても、心は平静さを保つことができる。 (引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P36)
ところがもしこのような状況はすべて、人の作り上げたものだと解釈し、人間の力でどうにかできると考えると、無駄に苦労するばかりで、苦労の割には結果を得られないと言います。
「人にはどうしようもない逆境がある」に対処する場合は、天命に身を委ね、腰をすえて来るべき運命をまちながら、コツコツと挫けず勉強するのがよいと栄一はいいます。
フランスから帰国してみれば
現に私は、最初は尊王討幕や攘夷鎖港を論じて、東西を走り回っていた。しかし、後には一橋家の家来になって幕府の臣下に加わり、その後に民部公子・徳川昭武に随行してフランスに渡航したのである。ところが日本に帰ってみれば幕府はすでに亡びて、世は王政に変っていた。
この変化にさいして、もしかしたら自分には知恵や能力の足りないこともあったかもしれない。しかし勉強の点については、自己の力いっぱいにやったつもりで不足はなかったと思う。それなのに、社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると、それをどうすることもできず、わたしは逆境の人となってしまったのである。 (引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P34)
私たちもまた今、逆境に立たされているのもかもしれません。
栄一はこんなアドバイスをします。逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、「自己の本分(自分に与えられた社会の中での役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないのか、現状に満足することを知って、自分の守備範囲を守るべきといいます。
コロナ渦、大雨、猛暑 苦難のとき
足下の状況を見ても、コロナ渦、大雨被害、猛暑など、自分の力ではどうにもできそうにないことばかりです。
それらが今、自分の身近で起こっているという苦難のときなのかもしれません。
そんな時代にあって、ただ将来を心配するのではなく、その解決に役立つのも自分の本分と割り切ってしまえばいいのかもしれません。
順境
栄一は、これとは逆に「人が作った逆境」もあるといい、これに陥った場合は、自分がやったことの結果なので、とにかく自分を反省して悪い点を改めるしかないといいます。
世の中のことは、自分次第な面が多く、自分から「こうしたい、ああしたい」と本気で頑張れば、だいたいはその思いの通りになるものである。
ところが多くの人は、自分で幸福な運命を招こうとはしないで、かえって最初から自分で捻じ曲げた人となってしまい、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいと思っても、それを手に入れるはずがないではないか。 (引用:「論語と算盤」渋沢栄一 P36~37)
論語の教え
「歳 寒くして、然(しか)る後に松佰(しょうはく)の後れて彫(凋)(しぼ)むを知る」(「子罕第九」28)との言葉が「論語」にあります。
寒いと常緑樹以外の樹木は早く枯れる、孔子はこれを人間が節操なく、すぐ「志」を変えることにたとえ、「松佰」はその逆といいます。
変わりやすい「志」、それが逆境を招くもとだったりするのでしょうか。
「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」(「述而第七」6)との言葉があります。
「芸」、修練を通して身につけた技能や技術、わざ、学問のことをいいます。
「芸は身を助ける」ともいいます。
志をもって、芸を身につける。そして、その芸に遊び、楽しむ。こころよい響きです。
博く学びて篤(あつ)く志し、切に問うて近く思う
「博く学びて篤(あつ)く志し、切に問うて近く思う。仁 其の中に在り」(「子張第十九」6)との子夏の言葉が「論語」にあります。
博学篤志、広く学びて、志を篤くする。
篤志、あついこころざし。協力援助する気持をもつこと
切問近思、知らないことを身近な問題として取り上げ、熱心に問いただして考える。
切問、切に問うこと。
子夏は、「仁」はその中にあるんだなという。
栄一の教えに従い、こんな心持で学んでみるのもいいのかもしれません。
企業に志はあるのか
ここ最近は企業はパーパス経営を標榜するようになりました。企業が謳うパーパス、存在意義を知れば、彼らが何を目指しているのかを知ることができます。
バリュー、行動規範、これがわかれば、企業が何をしようとしているのか理解することができるのかもしれません。
この「パーパス」を日本経済新聞は「志」といいます。
近年は米国に続き日本でも「会社は誰のものか」の論理で株主の利益が優先されてきた。資本主義の原理ではあるがどうしても経営が短期視点になるなど限界も指摘される。より根本的に「会社はなんのためにあるのか」を問い直し、そこに経営の軸を置くのがパーパス経営の本質だろう。 (出所:日本経済新聞)
記事はパーパスを、「存在意義」と訳すと「いかにも理屈っぽすぎて、よそよそしい」といい、「志」と呼びます。
言葉の違いはあれど、逆境に対する栄一の主張と大差ないのかもしれません。
気候変動という逆境の時代、企業も覚悟を決め、「志」を高く、その解決に向かって欲しいものです。
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