亡くなられた中西経団連会長の追悼記事を読むと、そのお人柄を窺い知ることができます。遅ればせながら、ご冥福をお祈りいたします。
有言実行 異色の経団連会長
中西宏明氏、異色の経団連会長だったのでしょうか。
経団連会長に就任して早々、「終身雇用や一括採用などが時代の変化で見直される中、指針(就職活動ルール)は廃止してもいい」と述べたといいます。
経団連として機関決定する前の突然の意見表明だった。びっくりしたのは事務方。大慌てで「個人的な考え」と断るようメモを差し入れていた。
だが、本人は意に介する様子もなく最終的に指針廃止も「有言実行」した。 (出所:東京新聞)
SDGs社会を推進、これまでの経済社会からの変革を強く望み、導いた人でもあったようです。
これまでの日本には、「みんなが平等で目立たないほうがいい」とのカルチャーがありました。
しかし、そこから脱却して人と違うことにどんどんトライしていくようなカルチャーに変えていく、人が変わっていくことが必要です。 (出所:東京中小企業投資育成株式会社)
病をおしてまで会長職を続けていましたが、その病には勝てず、任期途中で退任を決断、後任に十倉雅和氏を起用しました。中西会長が存命であれば、経済界の改革がもう少し進んでいたのかもしれません。十倉氏が中西改革を引き継ぎ、変革を続けていくことを期待します。
人は平等であるべきだ
渋沢栄一は「論語と算盤」の中で、「人は平等であるべきだ」といいます。
中西前会長が指摘した「平等で目立たない」というカルチャーは、もしかして、栄一の言葉をアップデートすることなく、引きずってきたということなのかもしれません。
栄一も維新間もない頃、日本に経済社会を育ていこうと一意専心していました。
適材適所を説き、「人は平等であるべきだ」といい、私心なく人物を見きわめようとしていました。そして、平等には、ケジメや礼儀、譲り合いがなければならないといいます。
栄一のその精神は、慶喜の命で渡ったフランスで養われたのでしょうか。
栄一のフランス渡航
ヨーロッパの繁栄を目の当たりにし、その強大さを支えているのは、資本主義をもとにした経済力であると理解します。さらにヨーロッパと日本の身分制度の違いにも気づきます。
日本では固定化されていた身分が、ヨーロッパでは商人も軍人も差がなく、みなが対等に接している。何より彼が驚愕したのは、ベルギー国王が徳川昭武に向かって鉄鋼を売り込んでいるではないか。商人の地位改善がなければ、日本の経済力発展はないと悟ったのではないでしょうか。
慶喜の適材適所
栄一のこのフランス渡航も、慶喜の適材適所があってのことなのかもしれません。
頭が固く、金銭感覚に疎い武家出身者ばかりでフランスを訪問しても得るものが少ない、慶喜のもとで頭角を現し始めた栄一ならと抜擢されたのかもしれません。
栄一は、総務や会計係の担当としてフランス渡航に参加することになったのです。
「君子は事(つか)え易く、説(よろこ)ばしめ難し。之を説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及んでは、之を器にす」(「子路第十三」25)との言葉が「論語」にあります。
君子 教養人が上司であると働きやすいが、喜ばせるのは難しい。もし喜ばせようと思っても、道理に従ったものでなければ、喜ばないからである。また君子が人を使うとき、適材適所に配置するとの意味です。
栄一と慶喜の関係のようなものでしょうか。
栄一がヨーロッパ滞在中に、慶喜が大政奉還し、明治新体制に移行します。
後ろ盾を失った栄一ら一行は帰国することになります。帰国後、慶喜の要請もあり、栄一は静岡に居を構えます。そして、この地で日本初めての銀行兼商社「商法会所」をおこし、慶喜を支えます。しかし、その生活は長く続きません。新政府が栄一に出仕を求めたのです。
この静岡での経験が日本に資本主義を定着させようとする栄一の原型となったといわれています。これも渡欧の経験があっからのことだったのでしょう。
隠居して以て其の志を求め、義を行なって以て其の道を達す
「国民が反対するもの(原子力発電所)を、エネルギー業者や電機設備を提供する日立などが無理やりつくるのは民主国家ではない」 (出所:東京新聞)
2019年の年頭会見で中西前会長はこう強調されといいます。
経団連の過去の会長と言えば、東芝、新日鉄(現日本製鉄)、東京電力、トヨタ自動車など、どちらかと言えば「脱原発」、「脱炭素」に後ろ向きな企業から輩出されてきました。
新会長に任命されたのは住友化学の十倉氏、また、二酸化炭素を多く排出する企業のひとつからの選出です。適材適所、そこには中西前会長の強い思いが内在するように感じます。
十倉氏は新会長内定を受けた5月10日の会見で、「要請を受けることは『義』があると判断した。受けた以上は『志』を高く持って全力を尽くしたい」と述べたといいます。
「隠居して以て其の志を求め、義を行なって以て其の道を達す」(「季氏第十六」11)との言葉があります。
乱世のときには隠れ住んで自分の志を深め、道義に従って人の道を世に広めるとの意味ですが、十倉氏にも、こうした意はあるのでしょうか。
中西前会長は十倉氏に「脱炭素」、そして「脱原発」を遺したように思えてなりません。十倉氏がその「遺志」を引き継ぐことを期待したいと思います。
「参考文献」
「関連文書」