「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【絵事は素を後にす】 Vol.51 阿吽の呼吸~小嶋陽菜 x BASE鶴岡裕太 

 

 論語にはたびたび孔子と子夏のやりとりが登場する。それにしても、二人の会話は阿吽の呼吸とでもいうような絶妙な間合いがある。

 

 子夏問うて曰わく、巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盼(へん)たり。素以て絢(けん)を為すとは、何の謂いぞや、と。子曰わく、絵事(かいじ)は素を後にす、と。曰わく、礼は後か、と。子曰わく、予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言う可(べ)きのみ、と。(「八佾第三」8)

  

(意味)

「子夏が質問した、「詩に笑顔うるわし。眼元涼やか。白粉の美しさ。とあります。どういう意味でしょうか」と。「絵を描くときは、まずは色を使う。そのあと胡粉を色の間は塗って完成するのだ」と。子夏はついで問うた。「儀礼は後でよろしいのですか」と。孔子はおしゃられた。「私の言わんとするところを表してくれるのは、商(子夏)君だ。お前となら詩を語り合える」と。」)論語 加地伸行

 

  桑原は以下のように解説する。

子夏が三つの詩句を引いて、これは何のことをいっているのかと聞いた。この三つの句のうち始めの二つは「詩経」の「衛風」の「磧人」篇の中にある。衛の君主荘公の夫人荘姜の美しさをたたえたものだという。にっこり笑うとえくぼが美しく、黒目と白目がくっきりろあざやかだ、というほどの意味らしい。次の一句は今に伝わる「詩経」の中にはない。それはいつのまにか脱落した句すなわち「逸詩」だとされているが、貝塚氏は、詩の本文につけて歌われた替句のようなものと解している。子夏はこの第三句がよくわからなかったので質問したのだろう。

 

 

 「絵の事は素(しろ)きを後にす」というのは、古注によると、絵とは文のあることで、衣服に彩色するさい、まずは五つの色をおいた後で、そのふちどりをとして白色を最後に加える、そうすると全体がしまって引きたつのだという。美貌をたたえたあとで、なぜこんな絵のことを持ち出したのか。これは荘姜の顔の美が衣服の華やかさに釣り合っていることを示して賞讃したものだ、と仁斎はいう。

 仁斎が巧みに洞察して解説しているように、子夏はおそらく辞句の解を求めたのであって、ここまでは師弟の間の「間談」であって、学問と無関係だったのが、頭の回転の早い子夏が、飛躍して、それでは礼も絵における素のように後に学ぶものですか、と発言するにいたって、にわかに高次元の議論となったのである。「礼を後にす」とは徂徠に従って、まず美人でないのに厚化粧すれば、かえって醜い、五色の色がまずなければ白でふちどりすることもできない。人間はまず忠信の人でなければ礼の末節にこだわっても仕方がない、という意味にとっておく。

 

 

「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。

  

dsupplying.hatenadiary.jp

 

孔子が外出しようとしたとき、雨が降ったが、傘がなかった。弟子が「子夏がもっていますよ」というと、孔子は「あれはケチだからなあ」と答えたという。続けて「人の長所を言い、短所を忘れることによって、長くつきあいができるのだ」と言ったと、加地は「孔子家語」の一節を紹介する

 

 

 

小嶋陽菜 x BASE鶴岡裕太

 BASEの新オフィシャルメッセンジャーに起用された小嶋陽菜さん。この記事を読んで小嶋さんの印象が、

『絵の事は素(しろ)きを後にす』と一致するように思う。

 うまく言葉で表すことはできないけど.....

forbesjapan.com

 

そして、BASE鶴岡裕太さんとの信頼関係。

 信頼関係があるからこそ、より良いものを目指すことができる

  小嶋さんはこんなこともおしゃっています。

もっと上の世代の経営者の方々は「どうすれば儲かるか」とか、そういった勝ち筋を持っていらっしゃるのですが、鶴岡さんをはじめ同年代の経営者の方々は、「もっと新しくて楽しいことはなんだろう」という思いがある。話をしていてすごく刺激になるし、楽しいんです。(出所:Forbes)

 

この二人も孔子と子夏の関係に近いのだろうか。

 

 (参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

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