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幕が引かれるのか財務省の文書改ざん問題、国に「誠意」はあるか ~ 炉辺閑話 #75

 

 財務省の文書改ざん問題で国と同省理財局長だった佐川元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟について、国が原告による約1億円の賠償請求を受け入れるとの書面を提出したといいます。

改ざん指示による赤木さん自死「国の責任は明らか」 財務相が謝罪:朝日新聞デジタル

 この手続きで国との訴訟は終結するそうです。今後は佐川氏を被告とした訴訟が継続する見通しになったといいます。

 首相は「損害賠償について全面的に認めたということだ」と述べ、鈴木財務相は「国の責任は明らかとの結論に至った」と請求を認めた理由を説明し、「公務に起因して自死という結果に至ったことについて、心よりおわび申し上げます」と謝罪したといいます。また、磯崎官房副長官は「残されたご遺族の気持ちを思うと言葉もなく、静かに謹んでご冥福をお祈りする」と語ったそうです。

 

 

 様々な報道がされています。原告の赤木雅子氏は納得がされていないようです。訴訟では、財務省が夫の俊夫さんの抵抗にどう対応したのか、国に明らかにするよう求めていたといいます。国が幕引きをしたということは、継続となるであろう佐川氏にその責任があったということを間接的に主張しているのでしょうか。佐川氏との訴訟の今後はどうなっていくのでしょうか。

 朝日新聞によれば、本件について、財務省の事務方から岸田首相に報告、首相からは、雅子さんとの間で継続中の別の訴訟に引き続き丁寧に対応すること、森友・加計問題について今後も真摯(しんし)に説明を尽くしていくことの指示があったといいます。

 もうそろそろ首相は雅子氏に対し、「まごころ」を示すべきなのかもしれません。まだ、継続中の訴訟があるから無理なのでしょうか。雅子氏からいただいた手紙に返信はできているのでしょうか。

論語の教え

「終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す」と、「学而第一」9 にあります。

「父母の喪においても、祖先の祭祀においても、まごころを尽くすのであれば、その道徳心はすぐれたものになる」との意味で、形式に陥ることなく、その本質は、まごころにあるといいます。

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 この問題に対する首相のまごころの示し方次第で、政治に対し国民感情が変わっていくのかもしれません。

 

 

「子張 政を問う。子曰わく、之に居(お)りて倦(う)むこと無く、之を行なうに忠を以てす」と、「顔淵第十二」14 にあります。

子張が「政」とは何かと質問すると、孔子は「その官職についていて倦怠することがなく、仕事をするときはまごころを尽くすことだ」と教えたとの意味です。

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「政」を行うには、衷心(=心のおくそこ。ほんとうの気持)から民を愛し、民の為めに謀つて少しも私心があつてはならない、民を愛し民の為めに謀ることは誠と云うものである。

 故に政治を行うには「忠」と「誠」でなければならないと、渋沢栄一が解説します。

 この訴訟の発端を考えれば、栄一が指摘する「政」のあるべき姿がなされず、「政」に私心があったことのではないかと疑われていました。

 やはりこの問題の終わり方としては、雅子氏へ、そして国民に対し「忠」と「誠」、「忠恕」が示されなければならないのでしょう。

「忠」は自己に対する誠実、「恕」は他人に対する思いやり。二つ合わせて人間に対する愛情ということになります。ことの経緯を詳しく明らかにすることはできなくても、こうしたことであれば、誰にでもできることではないでしょうか。