「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【財務省文書改ざん問題】道義上はともかく...、解明されない闇

 

 学校法人森友学園への国有地売却を巡る財務省決裁文書の改ざん問題で、元近畿財務局職員の妻が、当時の理財局長に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は請求を棄却したといいます。その妻は納得できず、控訴する意向といいます。

「バッサリと切られた」赤木さん妻、判決に憤り 森友文書改ざん | 毎日新聞

 記事によれば、佐川氏の賠償責任は国家賠償法の規定に基づき問えないとし、「道義上はともかく、佐川氏が説明、謝罪する法的義務はない」との判断が示されたといいます。

「バッサリと切られて残念だ。佐川氏は犯罪行為をしたのに法律に守られて理不尽だ」。赤木さんのグレーのマフラーを首に巻いて取材に応じた雅子さんはそう憤った。(出所:毎日新聞

「国家に翻弄された夫の死の真実を知りたい」、妻さんはその一心で提訴したといいます。しかし、被告席には佐川氏のみならず、佐川氏の代理人弁護士の姿もなかったといいます。

 

 

 公務員の倫理規定を守ろうとし、上役との板挟みにあっての非業の死。真実は各々の人の中に存在し、その事実認定を法にて判断することの限界ということなのでしょうか。

論語に学ぶ

訟(うった)えを聴くは、吾猶人のごとし。必ずや訟え無から使(し)めんか。(「顔淵第十二」13)

「訴訟を処理する能力は、私は他人と同じだ。訴訟を起こすことが無いようにするという点か」と孔子はいったといいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

今回の地裁の判断で、今後同じような訴訟が起こることはないのかといえば、疑問が残ります。

「道義上はともかく.......」、道義上に問題があっても、それを規制する法がなければ、何をやっても問題とはならないことが許されてよいのでしょうか。

 

 

 立法に携わる議員たち自らが法に触れなければと、何をやってもお構いなしのような言動を続け、それを問題指摘したところで、与党議員たちのお眼鏡にかからなければ、法規制は強化されることはありません。それでは、道義に反しようが何であろうが、何でもありの社会になってしまうということなのかましれません。

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 豊田商事事件や住専問題の債権回収にあった故中坊公平弁護士は生前、「被害者の立場に立って、プロとしての知恵を働かせて執念を燃やす」といっていました。また、「法律は道具に過ぎない。法律に使われるのでなく、これを使いこなさないと意味がない」ともいいます。

 法律を悪用することを許さず、法の番人が法を使って、道義に反することを追求しなければならないのではないでしょうか。

 中坊は豊田商事の債権回収では素っ頓狂な論理展開までやって回収に執念を燃やしたといいます。

豊田商事のセールスマンが納めた税金は元はと言えば、被害者の金を詐取したもの。豊田とセールスマンとの間の報酬契約が公序良俗に反して無効ならば、それに基づく源泉所得税も本来、納付義務はない(引用:中坊公平の闘い 藤井良広

 豊田商事社員が納付した税金を公序良俗を使って、国から返還してもらおうと国税に掛け合うというのですから、その執念は並々ならぬものだったということなのでしょう。

 弁護士と立場が異なる裁判官にはできないことも多いのでしょうか。

 

 

 この文書改ざん問題の本質は、「民主主義、法治主義の国でありながら、国民がどんな手段を使っても、権力がひた隠す闇の実態に迫ることができないこと」と、東京新聞はいいます。

<社説>赤木さん裁判 真相究明の道閉ざすな:東京新聞 TOKYO Web

 また、政府や高官の暗部を闇に葬ってはいけないとも指摘します。平成の闇を作ってはならないのでしょう。