沖縄戦から78年の時が経ち、「慰霊の日」に沖縄県主催の全沖縄戦没者追悼式が、最後の激戦地糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれました。
その公園には、約3カ月にわたる地上戦で失われた24万人の人々の名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」が建立されています。
この「平和の礎」は、1995年6月に設置されました。建設を進めたのは、当時の知事を務めた故大田昌秀氏です。太田氏ご自身が少年兵で構成する鉄血勤皇隊に動員され、最前線で伝令などを務め沖縄戦を経験したといいます。
「二度と沖縄を戦場にしてはならない」「ずっと死者たちを弔うことに、人生をかけてきた」。
戦後は研究者として沖縄戦と戦後史を研究され、1990年に沖縄県知事となり、米軍基地の整理・縮小に取り組んだといいます。
「平和の礎」は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするために建てられたそうです。
「殺戮の戦場に建った24万の生きた証」。
お父さん、お母さんたちがやって来てこの自分の息子の名前をたった一行をなぞって、朝来て涙流しながら夕方まで座り込んでるわけですよ、それを見て、たった一行の名前がこの人がこの世に生きていたんだという唯一の証拠だっていうことで、「平和の礎」を作って全沖縄の犠牲者の名前を刻んだわけですよ。(出所: TBS NEWS DIG)
「国が民を食った」遺体と遺骨の山、沖縄戦終焉の地から考える 慰霊とはどうあるべきか【報道特集】 | TBS NEWS DIG
「平和の礎」が建立される以前の沖縄には、沖縄戦の実相というよりも、「国のため、命を懸けて戦って頑張ってここまで追い詰められて亡くなったんだ」、殉国美談の慰霊塔が多く建設されていたそうです。
論語に学ぶ
終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す。(「学而第一」9)
上にたつ人が、両親を丁重に弔い、祖先の祭祀においても、まごころを尽くすのであれば、民の道徳心はすぐれたものになると意味する曾子の言葉です。
形式に陥ることなく、その本質はまごころにあるとの含みもあるそうです。
沖縄慰霊の日の追悼式に首相も出席し、あいさつしました。どこまで心がこめられていたのでしょうか。
その沖縄の地は、今また国土防衛の最前線となり、防衛費増額によって基地が増強されています。大田元知事の願いを守り通すことはできるのでしょうか。
沖縄戦から78年「慰霊の日」平和への祈り | NHK | 沖縄県
戦争の痛ましい実相を知る世代が減り、戦争を知らない世代が増えています。
遠い異国での戦争は続き、戦況を知らせる画像が毎日流れています。それに慣らされてしまうことがあってはならないのでしょう。
これから夏に向け、慰霊の日々が続きます。歴史を変えることはできません。その歴史を知り、決して忘れてはならないのでしょう。平和を守ることは敗戦国日本に課せられた使命であるはずです。
「参考文書」
24万人の死者名刻む碑 「6・23」 日の出に重ねた設計者の願い | 毎日新聞