新型コロナの感染拡大したとき、国民生活が政府によって大きく左右されることを痛感しました。あの時の政府対応にまずさがあったからなのでしょう。国は、国民を思い、良心良識に則って治められるべきと痛切に感じたものです。
遠い異国で戦争が始まり、様々な変化が起きました。こうした禍が起こるたびに課題が浮き彫りになります。しかし、解決しなければならない課題がいつまでも解決できずにいます。
それなのに新たな問題を作っては、そちらを優先する政府の姿勢に疑問を強く感じます。
国がデジタル行政改革を推進しようとしています。しかし、その出鼻を挫くようにマイナンバーカードのトラブルが続いています。しくみを大きく変えるのであれば、ミスはつきものと言い訳をしては身も蓋もありません。仮にミスが生じたとしても、その対処次第で、悪影響は最小化できるはずです。これだけごごたごたするのは、その対応に問題があるということに他ならないということなのでしょう。こうした失態がまた不安を助長します。
「デジタル行政改革」は不可避なものであるはずなのですが、反対意見があるとすれば、それは単に対応のまずさに起因するのではないでしょうか。コロナの時と同じような失敗を繰り返しているようです。
無責任
「財源の手当てをしない政策が多く、無責任な態度が続いている」と立憲民主党の野田元首相が岸田政権を批判しています。「それが一番、大問題だと思っている」といいます。
「私はクーデター全く考えてない」立憲・野田氏 代表への意欲問われ [立憲]:朝日新聞デジタル
そうなのかもしれません。もう少し責任感があって、社会に役立つことをしようとの思いがあれば、こんな事態にはならないような気がします。その根底に他人任せがあるからなのでしょうか。
党首討論
「最近は政党の主張をして宣伝をする場になっている」とも批判し、「党首討論を是非やるべき」と野田氏はいいます。
党首討論は党首同士が、平場でまとまらない話で一致点を目指すための討論。その位置づけを明確にした上で、どんどんと開催すべきだ。硬直した国会を突破するには、やっぱりトップ同士の話し合いが重要だ。(出所:朝日新聞)
国民にとって最良の問題解決を図るのではなく、政党が単に主義主張して宣伝合戦しているようでは社会貢献にもつながることはないのでしょう。建設的な議論を重ねるような国会にはならないのでしょうか。
論語に学ぶ
能(よ)く礼譲を以て国を為(おさ)めん。何か有らん。礼譲を以て国を為むる能(あた)わずんば、礼を如何せん。(「里仁第四」13)
「礼の基本である規範、そして、謙譲の精神、これによって政治を行ってみよ」と孔子はいいます。「困難があるだろうか。規範・謙譲をもって政治を行うことができなかったならば、礼があっても何の役にも立てない」といいます。
「礼譲」とは、他人に対して、礼儀正しく謙虚な態度を取ることをいいます。また、法規範ではなく、守るべき規範との意見もあります。
昨今の国会は、相手を罵ったり、礼譲とは無縁な世界になっているように見えます。こんな国会運営で、国民のために最適な立法ができるのでしょうか。
政党によって主義主張に違いがあるのは当然なのでしょう。それでも礼譲を守って議論して国民にとって最善を示していくのが議員の使命ではないでしょうか。
この10年余りで急速に世の中が乱れてきているように感じます。色々な事件事故がおき、新手の犯罪も増えているようにも思います。
急増するクレジットカードの不正利用もその例のひとつなのでしょう。コロナ渦にあって、政府がキャッシュレス決済を強力に推進した反動のようにも思えます。現金の輸送コストなどを減らすためといいつつも、その対策に手をかけなければならなくなっています。本末転倒のような気がします。また不安を増幅させているにも思います。
効率化をうたい文句に非効率を生み出しているようなものです。この背後にも無責任があるのでしょうか。社会に貢献しよう気持ちが薄れれば、世の中が悪化していくのも当然のような気がします。