「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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終わらない誹謗中傷、続く権力を有する者たちの不毛な論争

タレントのryuchellさんが亡くなられ、TwitterなどSNSにおける誹謗中傷がまた問題視されているようです。

やまぬ芸能人への誹謗中傷が問うTwitterの功罪 ryuchellさんの死に改めて考えるSNSの攻撃性 | インターネット | 東洋経済オンライン

 ryuchellさんは、SNSなどでのアンチコメントに対して悩んでいたそうです。プロレスラーだった木村花さんのときもそうでした。

 記事は、今なお、自分のSNS上での発言が相手を深く傷つけているとは感じないまま、無自覚に中傷投稿を行っているのではないかと指摘し、こうした誹謗中傷に対するTwitter脆弱性を問題視します。

 

 

 こうした事態を防ぐには、法改正や教育などの対策に加えて、SNS側も、無責任な発言者とその対象者が距離を置ける仕組みを提供すべきと主張し、痛ましい事件が繰り返さないためにも、プラットフォーマーが行動しなければ、誹謗中傷による被害者を減らすことはできないだろうといいます。一理はありそうです。

法の支配、無自覚な権力者たち

 政治家など権力者とそれに近い影響力を持った人たちがTwitterで不毛な論争をしています。

 弁護士の橋下徹氏に対し、立憲民主党の泉代表がツイッター上で「コメンテーターはやめるべき」と発言したことに、橋下氏が食ってかかったようです。

「政治コメンテーターを辞めるべき法的根拠を示せ!」「俺の発言に文句があるなら、政治コメンテーターを辞めろではなく、言論で反論して来い。それが立憲主義というものだ。法的根拠もなく言論自体を止めろというのは最悪の非立憲主義だ」といい、「法の支配に反する非立憲主義の典型。そんな政党が権力を握ったら恐ろしい国になる」といっています。

 どうなのでしょうか。かつての国会で見られたような論理展開に見えます。民間人とはいえ、影響力が大きく、権力に近い人が、何においても法的根拠と口に出すことに疑問を感じます。こうした無自覚な発言が世の中にどれだけの影響を及ぼしているのでしょうか。

 

 

 いかなるものも完璧などありえない、「法の支配」においてもそれはいえることではないでしょうか。不備があるから、権力者が横暴を働いても止めることができない現実があるのでしょう。

 その法の抜け道を正していくためには、公序良俗(公の秩序又は善良の風俗、これに反する法律行為は無効とされる)に従った批判があってしかるべきのような気がします。

「法の支配」とは、「個人の恣意的な権力の行使(人の支配)を抑止するべく、発展してきた概念」と内閣府は説明し、「専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である」とWikipediaはいいます。

 もし立憲民主党公序良俗に従い権力者を批判しているのなら、権力を有する者たちは「法には触れていない」と言い訳するのでは、積極的な対話で、「個人の恣意的な権力の行使」を抑止すべく法を見直し、強化すべきような気がします。

論語に学ぶ

驥(き)は其の力を称(ほ)めずして、其の徳を称むるなり。(「憲問第十四」33)

 名馬の驥は、その速力や体力を褒めているわけではない。その節度ある風格を褒めていると意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

「驥」は、一日に千里を行く名馬。転じて才能ある優れた人物、俊才のたとえといいます。才ある者も、「徳」人格、品位に欠けるところがあっては、その才も宝の持ち腐れになってしまうということでしょうが。

 

 

「立憲民主のよくないところは、ある意見に対して人間性を否定したり侮辱したりすること。辻元清美さん的な言説が端的で、世襲政治家だから勉強不足だなんて誹謗中傷も甚だしいですよ」(出所: TOKYO HEADLINE)

 論破しようと試みれば、不毛な論争となり、本質的な問い、問題解決から離れていくような気がします。もっと建設的議論がなされれば、「法の支配」の不備を正していくことに近づいていくような気がします。

 

「参考文書」

橋下徹、泉房穂前明石市長の “情けない” 発言に激怒「極めて立憲民主的」「物の言い方がある」 | TOKYO HEADLINE

橋下徹氏「あんたらの生活費、政党交付金は我々民間が納税して支えてる」批判した立民・泉健太代表に猛反論― スポニチ Sponichi Annex 社会

立憲民主党・泉健太代表「政治番組のコメンテーターはやめるべき」立民批判の橋下徹氏にクレーム― スポニチ Sponichi Annex 社会