曾子曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す。(「学而第一」9)
(意味)
曾子の教え。「人々が父母の喪においても、祖先の祭祀においても、まごころを尽くすのであれば、その道徳心はすぐれたものになる。」(論語 加地伸行)
この章は、形式に陥ることなく、その本質、まごころにあると加地はいう。礼のあり方ということであろうか。
お盆も明け、今日から仕事に復帰されている方も多いのではないでしょうか。
お盆期間中、ふるさとに戻り先祖の供養をされたでしょうか。
もうお盆は過ぎてしまいましたが、この季節にはぜひ思い返したい文章です。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや (室生犀星)
父が亡くなり、この夏は新盆でした。
迎え火、送り火などの行事ととも慌ただしく時間が過ぎていきました。
この詩を読むと、父の姿を思い出す。
この夏、父は、ふるさとの山形へ帰ったのだろうか。
「終わりを慎み遠きを追えば、民の徳 厚きに帰す」、一般的には、指導者の模範的な行動のことを意味するといわれる。
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(参考文献)