「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【遠きを致すに恐らくは泥まん。是を以て君子は為めざるなり】 Vol.481 ~コロナ危機の先にあるもの

 

子夏(しか)曰わく、小道と雖(いえど)も、必ず観る可(べ)き者有り。遠きを致すに恐らくは泥(なず)まん。是(ここ)を以て君子は為(おさ)めざるなり。(「子張第十九」4)

 

(解説)

子夏の言葉。「技芸や専門知識であっても、必ずそこには見るべきものがある。しかし、遠大なことを達成するには、おそらくそれに頼っては進まないであろう。それ故に、君子 教養人は技芸や専門知識を求めて学ぶのではない論語 加地伸行)  

 

「小道」、異端、農業などとする諸説がある。加地は「才芸」と解する。

 

 

 

孔子は「雍也第六」13で、 「女(なんじ)君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ」、と子夏にいう。

 社会すなわち他人たちのための学問と自分一個のための学問とでは、穏やかな時代には前者が当然尊ばれる。しかし、危機的状況になり実存といった考え方が出てくると、逆転する。ここは視野を広く、大問題をみずから考えうる学者になって、既成の諸学説のブローカーに過ぎぬような学者にはなるな、と諭したと桑原はいう。

「君子の儒」とは天下の事に責任をもち、民が安んずる志を持つものであり、「小人の儒」とは自分一身を善くするにとどまって、社会的影響を持ちえぬ者であろう。人を治める学と人に治められる学といってもよい。 (出所:論語 桑原武夫

「小道と雖も、必ず観る可き者有り。遠きを致すに恐らくは泥まん」

 小道 専門知識を学ぶ者にも見るべき人がいる。しかし、大きな目標を為すには泥にまみれなければ前に進むことはない。そして、その経験が君子へといざなうのかもしれない。「小人の儒」に陥りがちな子夏の学び得た成果なのではなかろうか。

 

 「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。孔門十哲の一人。後に魏の文侯に招かれ、その師となる。 

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 孔子が外出しようとしたとき、雨が降ったが、傘がなかった。弟子が「子夏がもっていますよ」というと、孔子は「あれはケチだからなあ」と答えたという。続けて「人の長所を言い、短所を忘れることによって、長くつきあいができるのだ」と言ったと、加地は「孔子家語」の一節を紹介する。

 

 

 


 コロナ危機である。コロナを抑制するにはやはり専門知識が頼りになる。素人が少々学んだにわか知識で太刀打ちできるものではないのだろう。

小道と雖も、必ず観る可き者有り。遠きを致すに恐らくは泥まん

 しかし、未だその感染を収束させることができずにいる。専門知識だけでは解決できない何かの影響があるのかもしれない。もしかしたら、人の心を理解しない、専門知識への反発なのだろうか。

 天下の事に責任をもち、民が安んずる志、「君子の儒」が問われているのかもしれない。その思えば、この時期のオリンピックは煩わしいことのようにも思える。安全な大会といっても誰も納得はしないのだろう。

 オリンピックが開催されようがされまいが、秋までには総選挙が実施される。「君子の儒」を持ち得たリーダーが登場するのだろうか。そうでなければ、危機が長続きするのかもしれない。

 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫