新型コロナの流行で推奨された「新しい日常」がすっかりと定着したのでしょうか。日本生命が勤労感謝の日に合わせ、「仕事・働き方」や「飲みニケーション」についてアンケート調査を行い、そんな調査結果が得られたようです。
それによれば、コロナ禍が終わってもテレワークを継続したいと思う人が7割を超え、また、「飲みニケーション」については、不要と感じる人が6割に達し、必要と感じる人を上回ったといいます。
「飲みニケーション」の支持率急落 「気を使う」「仕事の延長と感じる」 - 社会 : 日刊スポーツ
日刊スポーツによると、ニッセイ基礎研究所の井上智紀主任研究員は「コロナ禍で会食できなくなり、お酒を介してコミュニケーションすることに疑問を抱く人が増えた」と分析し、「お酒に頼らない親睦の在り方を模索する人が増え、意識が変化した」とみているそうです。
よくわかります。会社の飲み会をあまり好きになれなかったこともあったのでしょう、車通勤を選択していました。車だと、誘われるのは大きなイベントくらいなのもで、助かっていました。
変わる外食の意味
Fridayによると、「飲食店における酒類提供の時短要請解除」に関するインターネット調査の結果、時短要請が解除されてから20時以降に飲食店に飲みに行ったと回答した人は29.1%となり、また、79%の人が「これから先も家飲みを楽しみたい」と答えたといいます。ニッセイの調査結果と同じ傾向ということでしょうか。
獺祭・社長が明かす「飲食店への客足が戻らない本当の要因」 | FRIDAYデジタル
銘酒「獺祭」の蔵元、山口県岩国市にある旭酒造の桜井一宏社長は、「コロナが日本の外食文化を変えるきっかけになるのではないか」といいます。
ウィズコロナの社会では、一回飲みに行くことが特別な行為と捉えられるようになる気がします。
仕事帰りに飲みに行く場合も、生ビールが1杯390円なのか400円なのかで選択するのではなく、ちょっと特別な楽しい時間を過ごすために少々割高でもメシと酒がうまくて気持ちのいい店を選ぶ。そういうお客さんが増えていくことが、外食文化がより洗練されるきっかけになるんじゃないかと思うんです。 (出所:Friday)
さらに桜井社長は、この1年半で意識が大きく変わったといいます。「売り上げががくんと落ちて、旭酒造のお酒を飲みたいと思ってくださるお客さんにどれだけ支えられていたか気付かされました」といい、そして、社員もまたそれを気づき、「大事なお客さんのためにも絶対的な品質を追求しよう、前に進もうと思ってくれている」といいます。そうした社員に応えようと、さらにこういいます。
会社としては社員が働きやすい環境を作って、皆の気持ちに報いていかなければいけないと強く感じています。それがいい酒に結び付くよう目指していくつもりです。 (出所:Friday)
賑わいがあり、活気あふれれば人はそこに集まります。そうしたところでは、また商品が生まれるのかもしれません。
中庸、ちょうどよい頃合い
「如(たと)い周公の才の美 有るとも、使(も)し驕(たかぶ)り且つ吝(おし)めば、其の余(よ)は観るに足らざるのみ」と、論語「泰伯第八」11にあります。
どれほど才能が優れたものがあっても、驕吝(きょうりん)であると観るに足らぬ、そのの弊害を戒めたと章だと渋沢栄一はいいます。
驕慢と吝嗇を如何に悪むべきかということを云わんが為に、周公の才を引合いに出して、周公の才と等しい程の美才があつても、驕と吝とがあれば、少しも用をなさない、すなわち驕と吝とが如何に悪徳であるかということを、強くいわれたのであると解説する。
驕と吝との中庸を守るということは中々難しい、吝でないから良いと思っておると非常に驕る癖があったり、非常につつましやかで珍しい人だと思っていると、余りに吝であったりして、驕でもなく吝でもなく、といつたその中間の徳を積むということは、訳無いようであるが、容易のことではない、でこれを非常に強く戒められたのであると、栄一はいいます。
このコロナ禍で、人は結構、この中庸の精神を感じとったのではないでしょうか。過ぎれば、押し付けになり面白くない、少な過ぎれば、疎遠になり、コミュニケーションまで薄くなる。何事もちょうどよい頃合いを見つけるのが肝要なのでしょう。
論語の教え
栄一の時代には貿易や金融などの諸問題があったようです。どれも、どうしたらよいかと云うような状態に置かれていたといいます。この状態になったのも、ようするに、最初にどうしよう、どうしたらよいかと云うことを考えず、場当りとか、その時の都合次第にやったからであると断じます。
「之を如何(いかん)せん、之を如何せんと曰わざる者には、吾 之を如何ともする末(な)きのみ」と、「衛霊公第十五」16 にあります。
おおよそ事を為す初めにおいて、これをどうしよう、これをどうしたらよいかと、深思熟慮してやるがよい。そうすれば、行うことにも過ちがなく、その事を成し遂げる。もしそうでなかったならば、その事の失敗は勿論のこと、そのような人に対しては如何ともすることも出来ないとの意味だといいます。
「まず、その事に当るや己自身を打込んで、欠点をも長所をも見て、それに処する方法を講じなければならない。成り行きに任せる御都合次第と云うようなことは、悪く言えば軽薄な行為であつて、こんなことで到底世の中の進歩と云うことは出来ない」と、栄一はいいます。
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コロナ禍にあれば、如何としたいと思っても、規制されて如何ともし難く、それを受け入れざるをえない。だからといって、いつまでも成り行き任せではならないということなのでしょうか。兎角、当局の批判になったりします。
「獺祭」の桜井社長もそういう気持ちになってはならぬ、前向きにとの考えをお持ちのようです。