「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

給付金の支給方法で方針転換する首相、「二兎を追う者」の害を教える ~ 炉辺閑話 #73

 

 京都清水寺で、一年の世相を表す「今年の漢字」が発表され、「金」が選ばたそうです。

今年の漢字は「金」 京都・清水寺で発表、五輪の金メダルや各界の金字塔反映|社会|地域のニュース|京都新聞

 京都新聞によれば、「金」が選ばれた理由として、東京五輪での多数の「金」メダル、米メジャーリーグでの大谷選手のMVPなど、「金」字塔を打ち立てる人が多くいたことなどといいます。さらに給付「金」や新紙幣、新硬貨などお「金」にまつわる話も話題に上ったことによるそうです。

 その給付「金」では、「地方自治体が希望すれば年内に全額現金10万円を一括給付することを認める」と、首相が衆議院予算委員会で述べ、方針を転換したといいます。

 結局、「二兎を追う者」、中途半端に終わるということでしょうか。一石二鳥とはいかないものなのでしょう。

 

 

論語の教え

「人の過つや、各々其の党に於いてす。過つを観れば、斯ち仁を知る」と、「里仁第四」7 にあります。

 君子の「党」は人情に厚いためにミスを犯し、小人の「党」は人情に薄いためにミスを犯すそうです。「党」とは分類、カテゴリーをあらわしているそうです。

 それぞれの人間の過ちを観察してみれば、その当事者における仁のあり方、つまりその人間の道徳性の高低がわかると、桑原武夫は解説します。

 政権与党は人情に薄い人たちの集まりということなのでしょうか。

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 ただ、「仁に過ぎれば、世話しなくてもよいことまで世話することになり、引き受けなくともよいことまで引き受けることになってしまう」と渋沢栄一はいいます。

自分は如何なる依頼でもこれに応じてあげようとの心情で他人に接し、仁を体現するにしても、もし、これに応ずる事によって、自分が損をするだけならば、まずよいとしても、当人の利益にならなかったり、あるいは第三者の方に損害や迷惑をおかけするようでは、はなはなだ申し訳の無い事になる。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 今回の給付金の支給も、対象者のためになり、支給の実務を行う自治体の負担を考慮すべきであったということなのでしょう。栄一の言葉を借りれば、それが「仁」であったということでしょうか。

 

 

栄一が考える政治

「政治は、自己の利益を図り功名を求めるものではない」と栄一は断言しています。

「政」を人に施すということは、一般人民にを奨めるということに外ならない

そして、これをなすにはその政治をよくやって行かなければならない。もし政治にして正しく行われると、上下和睦して太平を謳うことになる。こうなることが政治の主眼でなければならない。(参考:「実験論語処世談」渋沢栄一記念財団

 こうして、「一般人民の匡救(=悪を正し、危険などから救うこと)も初めて出来る」、「自己の一身の利害得失を考えてやっていては、如何に政治の善美なることを望んでも望み得られるものでない」といいます。

 そして、「自己の栄達、功名を望んで一般社会の為に図るようなことは少ない。ことさらに今日の政治家の状態はそうである」と、栄一は嘆きます。「口には立派なことを言っていても、心はこれに反している」。

 政治家自ら「善」に反することがあっては、人心は離反するばかりということでしょうか。

 首相にとってはいい機会なのかもしれません。経済云々を語る前に、まずはみずから「善」を実行し、国民皆に「善」を勧めるべきなのでしょう。そして、栄一流に言えば、そこには「人情」が必要なのでしょう。

「人情」とは、人としての情け。他者への思いやりのことをいいます。今でいえば、インクルージョンとでもいうことでしょうか。現代の「仁」といえるのかもしれません。

 過ちがあって、言い訳するのは小人といいます。

 一方、「君子の過ちや、日月の食の如し。過つや人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ」(「子張第十九」21)といいます。過ちがあっても、それを正しく改めることができるのなら、人々はその人を仰ぐことになるといいます。そうなればいいのですが。

 

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