「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【巧言令色、鮮なし仁】100年を迎えた中国体制、記念式典は恭しい装い ~炉辺閑話 #14

 

 東京都内で1日、日本に住む香港人ウイグル人など約200人がデモを行ったそうです。中国共産党支配への抗議、共産党支配からの解放を要求したといいます。

 デモがあったその日、中国北京では共産党創立100年の祝賀式典が開かれ、習主席が演説を行いました。

巧言令色

 ブルームバーグによると、習主席の演説の大部分は、100年間の功績に重点を置いたもので、毛沢東や鄧小平、かつての党指導者らに敬意を表する内容だったといいます。

 その上で、「われわれは最初の100年の目標を実現した。中国の地で小康社会を構築した」と宣言したそうです。

 

 その日、習主席はグレーの人民服を着用していたそうです。毛沢東を意識したのでしょうか。

「巧言令色、鮮なし仁」(「陽貨第十七」15)といいます。

「言葉を巧みに飾り立てたり、外見を善人らしく装うのは、「仁」すなわち他者を愛する気持ちは少ない」との意味です。 dsupplying.hatenadiary.jp

「われわれは外国民をいじめたことはなく、今後も決してしない」。

 習主席は、帝国主義列強による侵略や、内部抗争による「屈辱の100年」を経て世界的に地位を回復するためには共産党の存在が不可欠だったと主張したそうです。

 「中国人はいかなる外国勢力の抑圧も断じて許さない。そのようなことを試みる者は誰であれ、中国の14億人の血と肉で築かれた鋼鉄の長城で頭を割られ血を流すことは確実だ」

f:id:dsupplying:20210702083222j:plain

 孔子が言う通り、言葉を巧みに操り、表情もほどよい、それは「仁」、誠実な人間愛の乏しさということなのでしょうか。

www.bloomberg.co.jp

夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず

 その習主席が29日には、「次の100年を迎えるにあたり、新たな「英雄」が必要だ」と、党貢献者の勲章授与式の演説でそう述べたといいます。

www.bloomberg.co.jp

「われわれは不屈の闘いをし続ける必要がある」。

「現代の社会主義社会建設の過程において、2世紀目の目標と中華民族の偉大な復興という中国の夢に向かって全方面で前進しなければならない」と(習主席が)語った。 (出所:ブルームバーグ

 

「夷狄の君有るは、諸夏(しょか)の亡きに如かず」(「八佾第三」5)との言葉があります。その後生まれる中華思想のもとになった言葉とも言われています。

「夏(華)は大なり」、「諸夏」とは中原にある文明のさかんな漢民族の国々を指し、その周辺にある野蛮な諸異民族と対立する、「夷狄にも首長はあるけれども文化水準が低く、とうてい中国の君主なき状態にも及ばない」、中華(夏)文明への自信の表明といわれます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 習主席の言動も「中華思想」がもとになっているのでしょうか。

 かつて欧米諸国が蹂躙した清王朝は異民族の国でした。「中華民族の偉大な復興」と話す習主席の言葉には、その歴史も含まれているのでしょうか。

 昔から夷狄とされていたウイグルチベット、そうした地域の人々は今も、礼節なき振る舞いは断じて許されないということなのでしょうか。

 波及

 H&Mの第2四半期3-5月の中国での売上は約1億8900万ドルとなり、前年同期の2億6300万ドルから28%減少したといいます。ウォールストリートジャーナルによると、約7400万ドル(約82億5000万円)の売上高が失われ、中国を怒らせるとどれほどの代償を支払うことになるか、数字で明確になったといいます。H&Mは、新疆ウイグル自治区で強制労働が行われているとの疑いについて懸念を表明しましたが、中国政府が反発、その後H&M不買運動に発展しました。

 フランスでは、人道に対する罪の隠匿の疑いで、「ユニクロ」のフランス法人など衣料・スポーツ靴大手の4社の捜査を始まったといいます。NGOなどの告発を受けてのことだといいます。

使し驕り且つ吝めば、其の余は観るに足らざるのみ

「如(たと)い周公の才の美 有るとも、使(も)し驕(たかぶ)り且つ吝(おし)めば、其の余(よ)は観るに足らざるのみ」(「泰伯第八」11)と孔子はいいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 孔子が理想とした周公ほどのすぐれた才があったとしても、もしその人柄が高慢でありまた吝嗇であったならば、その人について他に詳しく見る必要はないとの意味です。

「周公」とは、周王朝を建てた武王の弟「旦」のことで最大の功労者と言われています。 

 孔子がもし現政権をみたら、どう感じるのでしょうか。

 

 

 毛沢東の時代、孔子は否定されていたといいます。その後、再び孔子が見直されているといいます。現政権も孔子の言葉の字面をおっているように思われることが多々見受けられます。

 孔子が理想とすることを実践することは甚だ難しいはずです。なぜなら、理想を掲げた孔子でさえ、その志半ばで世を去っています。孔子の生涯を学んでみれば、結果よりも、理想を追い求める過程こそ大切なことのように感じたりもします。

 繰り返される歴史の中で、王朝が倒れるときには暴君が出現するようです。

 なかなか本音を喋れないのかもしれませんが、 中国国民はどんな目で習主席を見ているのでしょうか。

www.bloomberg.co.jp

無為にして治まる者は、其れ舜か

中国伝説の聖人「舜」を孔子は理想の1人とします。

「無為にして治まる者は、其れ舜(しゅん)か。夫(そ)れ何をか為さん。己を恭々(うやうや)しくし正しく南面するのみ」(「衛霊公第十五」5)といいます。

 「自分がなにも動かず、また、しなくても、天下が平和に治まる。そういう政治ができたのは、舜であろうか。舜はなにをしたのであろうか。ただ慎み深くし、正しく王位に即いていただけであった」との意味です。

dsupplying.hatenadiary.jp

 時代の違いがあるのかもしれませんが、語り過ぎる主席はどうなのでしょうか。

  

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫