アフガニスタン、遠く離れた国ですが、やはり気になります。
共同通信によると、タリバンが進攻した15日、避難しようとする車で道路は大渋滞したといいます。容赦のない暴力の記憶が蘇り、脱出を望む市民らが空港に殺到したそうです。16日も市民が駐機場にあふれ、報道によると、軍用機に向かおうとする群衆に米兵が威嚇射撃をする一幕もあったといいます。
銃声は聞こえない。いつもより人通りの少ない街は平穏に見える。
アフガニスタンの首都カブールは16日、反政府武装勢力タリバンの支配下に置かれてから一夜が明けた。カラシニコフ銃を手にし、ターバンを頭に巻いた兵士の数が一気に増えた。
ただ市民への暴力は報告されず、恐怖政治を敷いた「昔とは違う」との声も聞かれた。 (出所:共同通信)
夷狄の君有るは、諸夏(しょか)の亡きに如かず
中国が、アフガニスタンと「友好関係」を発展させていく用意があると表明したそうです。
AFPによると、タリバン幹部が先月、中国天津で王毅外相と会談し、アフガニスタンが分離独立勢力の拠点になることはないと約束したといいます。その見返りとして中国は、アフガニスタン復興のための経済支援と投資を申し出たそうです。
「タリバンはこれまで、中国と良好な関係を発展させたいとの希望を繰り返し表明しており、アフガニスタンの復興、発展に中国が関わることに期待を示している」と華報道官が記者団に対し述べたといいます。
「夷狄の君有るは、諸夏(しょか)の亡きに如かず」(「八佾第三」5)
野蛮人にも首長はあるけれども文化水準が低く、とうてい中国の君主なき状態にも及ばないとの意味する言葉で、「中華(夏)思想」のもとになっているといわれます。
「夏は大なり」、「諸夏」とは中原にある文明のさかんな漢民族の国々を指し、その周辺にある野蛮な諸異民族と対立する。 (引用:「論語」桑原武夫)
中国は、アフガニスタンと76キロにわたり国境を接し、かねてから、アフガニスタンが新疆ウイグル自治区のイスラム系少数民族ウイグル人の分離独立勢力の足場となることを恐れてきたといいます。
秩序原理として「礼」が重んじられれば、たとえ異民族であっても、対立は避けるということなのでしょうか。
一方、米国バイデン大統領は自らを正当化し、「自分の決定が批判されるのは承知している。しかし、この決定を次のアメリカ大統領に、実に5人目に引き継ぐよりは、自分があらゆる批判を受けた方がいい。これが正しい決定で、これがアメリカの人たちにとって正しい決定だからだ」と述べたそうです。
米国、バイデン氏の限界なのでしょうか。しかし、武力による支配の連鎖が終焉するなら、歓迎すべきことなのかもしれません。
武力に頼れば、兎角対立が生まれ、続いていくものです。
民の仁に於けるや、水火(すいか)よりも甚だし
タリバンは、女性の権利を尊重し、外国人とアフガン人の両方を保護すると約束するなど、より穏健なイメージを与えようとしているが、多くのアフガン人は、タリバンが過去の厳しい慣習に戻るのではないかと恐れている。 (出所:ロイター)
「民の仁に於けるや、水火(すいか)よりも甚だし。水火は吾(われ)蹈(ふ)みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり」と、論語「衛霊公第十五」35にあります。
「人々にとって「仁」は、水や薪よりもずっと大切なものである」。水火(生活)のために人生を投げ出す人はいても、人道やヒューマニズム、誠実な人間愛「仁」を踏んで歩む人が死ぬようなことはない。無視されるはずがない、ということを意味しているのでしょうか。
「民の仁に於けるや、水火よりも甚だし」
アフガニスタンの民衆が何よりも望んでいるのは、「仁」ということなのかもしれません。
宗教の違いはあれ、人間としての根幹に「仁」があることを信じたいと思います。それは支配者ばかりでなく、支援する人々にもいえることなのではないでしょうか。