「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

歴史から知る日本の問題点、そこから学ぶ日本の行く先

 

外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰(出所:「ロシアについて 北方の原形」司馬遼太郎 文春オンライン

 司馬遼太郎さんは、著作「ロシアについて 北方の原形」で、ロシアをこう評したといいます。

外国への猜疑心、火器への異常信仰——司馬遼󠄁太郎が40年前に喝破した「ロシアの特異性」の中身 | 文春オンライン

 また、「体制がどうであれ、その国が、固有の国土と民族と歴史的連続性をもっているかぎり、原形というものは変わりようがない」と指摘しているそうです。

平原にあってつねに外敵におびえざるをえないというのが、ロシア社会の原形質のようなものになっており、いまなおつづいているといえないでしょうか。

文化も、他の生物学的組成と同様、しばしば遺伝します。ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられない、といっていいでしょう。(出所:文春オンライン)

 

 

 司馬遼太郎さんの着想、想像力にハッとします。

プーチン大統領の本質

 記事は、プーチン大統領の本質を司馬さんの著述から考察しています。

モンゴル人による長期支配は、被支配者であるロシア民族の性格にまで影響するほどのものでした。

十六世紀になってはじめてロシアの大平原にロシア人による国ができるのですが、その国家の作り方やありかたに、キプチャク汗国が影響したところは深刻だったはずだと私は思っています。(出所:文春オンライン)

 ロシア平原はモンゴルによって荒らされ続け、制圧され、「タタールのくびき」といわれる暴力支配の時代が、259年の長きにわたって続いたといいます。それがロシアの原形なのでしょうか。

歴史

 日本にも歴史があり、国家の成立という意味においては、また同様なのでしょう。それが今日の日本の文化や日本人の性格に影響しているということでもあるのでしょう。

 日本においては、古代から大陸からの外圧を感じ、常にそれに対処してきた歴史があります。260年にも渡る太平の世であった江戸幕府が瓦解すると、日本は外圧に耐えきれなくなります。そして、幕府を倒した志士たちはそれに対抗していくようになっていきます。あたかもそれは好戦的な国に変貌していくということでもあったのでしょうか。

 しかし、それも先の大戦に敗北することで一掃されていきました。

 

 

 今また大陸からの脅威を感じるようになっています。韻を踏んで、同じ歴史を繰り返してしまうのか、それとも歴史を活かして過ちを繰り返すことを避けることができるのでしょうか。

坂の上の雲」明治初期の日本

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

との一文から、司馬さんの「坂の上の雲」は始まります。

坂の上の雲』とは坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して一心に歩むが如き当時の時代的昂揚感を表したもので、日露戦争とは官から民の端々までがそういった「国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉であった時代」の情熱の下に一体となって遂行された国民戦争であり、「国家の重さに対する無邪気な随従心をもった時代におこなわれ、その随従心の上にのみ成立した」としている。(出所:Wikipedia

 司馬さんにはこの著作の映像化を許可しなかったそうです。それは「戦争賛美と誤解される」との理由からだったといいます。

 しかし、司馬さんの没後、NHK大河ドラマとは別枠の「21世紀スペシャ大河ドラマ」として放送しました。

 日本に歴史があるように、また大陸側にも歴史があり、東の小国に対する歴史認識もあることなのでしょう。

現代

 岸田首相の独断専行による「巨額防衛費の財源を増税で賄う」との方針が大炎上となり、政局の様相を呈したが、決着先送りの「妥協案」によって短期で収束したと、昨年末の防衛費騒動を時事ドットコムが解説しています。

「防衛増税」政局の裏の〝猿芝居〟【点描・永田町】:時事ドットコム

 その舞台裏は「最大派閥・安倍派内の覇権争い」であり、「政局を装った手の込んだ〝猿芝居〟」との冷ややかな見方があると記事は指摘します。

一連の経過を振り返ると、首相の「防衛増税」を攻撃したのはいわゆる〝安倍チルドレン〟ばかりで、「首相がかねて用意の妥協案で譲歩すると、あっという間に退散した」(岸田派若手)のが実態だ。「結局、安倍氏を信奉する〝遺児〟たちのアピール合戦」(同)に終わった格好で、永田町では「安倍派の内紛を利用した首相らの狡猾(こうかつ)なガス抜き作戦」(自民長老)との皮肉な見方も広がる。(出所:JIJI.com)

「国家・国民を守り抜く使命を果たす」と、首相は大見えを切り、自らの決断の正当性をアピールしたと記事は解説していますが、こんなことで国を守ることができるのだろうかと感じずにはいられません。。

 

 

 岸田政治もまた、ロシアのプーチン大統領と同様に「くびき」に縛られているのでしょうか。

「軛(くびき)」とは、牛馬のくびにあてて車をひかせる横木のことで、自由を束縛するもののたとえといいます。

 岸田首相は「戦前のくびき」に縛られて、その方向に無意識に引き寄せられているのかもしれません。

論語に学ぶ

士は以て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任 重くして道 遠ければなり。仁 以て己が任と為す。亦(また)重からずや。死して後已(や)む。亦遠からずや。(「泰伯第八」7)

  家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず.....」の元と言われる曾子の言葉です。

 志のある者は大らかで強い意志を持つ人間でなければならない。その負担が重く、達成まで遠いからである。「仁」人の道が己の任務とする。なんと重いことだ。それも死ぬまで続く。それは重大にして高遠なことであると意味します。

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徳川遺訓

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 世界史的に見ても、260年という長きにわたって平和で安定した江戸時代は類まれな時代といわれます。

 その歴史を作った家康の遺訓がこの国の「くびき」になれば、未来はもっと希望あるものなっていくのではないでしょうか。

 

 

【初春2023年】新たな年への期待とは裏腹な厳しい予測、現実化しそうな日本衰退

 

 2023年を迎えました。今年が良い年であって欲しいものです。新年になって人心が一変すればいいのでしょうが、それも期待できず、昨年同様厳しい1年になるとの大方の予想のようです。世界は多方面で急速に変化し始め、この先どこに向っていくことなるのでしょうか。

零落する日本

 日本がいよいよ経済大国から脱落する将来像も予想され始めているといいます。長期経済予測の議論が活発になり、先進国の成長が鈍化する一方で、インドなど新興国で高い成長が続き、経済大国に加わる見通しになっているそうです。

2075年の日本、GDP12位に後退 経済大国から脱落予測: 日本経済新聞

 記事によれば、米投資銀行ゴールドマン・サックスのリポート「2075年への道 世界の成長鈍化も収れんは続く」の予想では、インドのGDPは30年までに日本を抜き、75年までに米国をも抜きその躍進が著しいといいます。

 一方、日本は現在の3位から、30年に4位、40年に5位、50年に6位とじり貧となる予想で、インドネシア、ナイジェリア、パキスタン、エジプト、ブラジル、ドイツ、英国、メキシコにも抜かれ75年には12位に後退すると予測しているそうです。

 

 

 日本の75年のGDPは7.5兆ドルで、この予測通りであれば、経済規模は中国、インド、米国の7分の1程度になるといいます。

日本は、日銀の巨額国債買い入れ(量的金融緩和)に支えられた財政拡大策などを進めてきたが、低成長から抜け出せないまま、債務GDP比率が一段と高まり、経済大国としての序列の後退見通しが早まる結果になっている。(出所:日本経済新聞

「目先の規模優先の景気対策は、足元のGDPを多少押し上げる短期的な効果があっても、中長期的には累増する債務負担が成長を妨げるといわれており、その再検討も迫られている」と記事は指摘します。

中国の世紀へ、そしてインド

 一方、人口が急増するインドは人口ボーナスと、IT(情報技術)主導による生産性の向上が経済成長をけん引するとみられているといいます。また、中国は以前のような高成長が期待できなくなるものの、ハイテク技術などで競争力を高めており、先進国よりは高めの成長を続けられる予測になっているそうです。

 技術開発に遅れ、少子化対策に有効な手が打てままであれば、後塵を拝するしか道はないということでしょうか。エコノミストの予測が全面的に正しいということはないのでしょうが、このままで良いのでしょうか。

2023年の円安予想と日本回避

 2022年の円安の分析がなされ、2023年の円動向の予測も始まっています。昨年の円安は日本経済へのネガティブな評価から始まり、それ自体が日本回避と言える動きだったとの主張があります。

2023年の展望:春以降の円安再起動警戒、上下にぶれる要因は日米金融政策=唐鎌大輔氏 | ロイター

 記事は、この先、ドル全面高はFRB金利動向で修正される余地があるにしても、史上最大の貿易赤字などを背景にゆがんだ円全面安の部分は解消されまいと指摘します。

大きな決定が苦手な岸田文雄政権の特質を思えば、利上げは荷が重く可能性は高くはない。金利上昇は住宅ローン金利などを通じてかなり露骨に家計部門から嫌われるはずだ。(出所:ロイター)

 長期視点に欠け、保身、政権維持のことしか頭になく、党内多数派の施策を優先するでけの自民党政権の限界なのでしょう。

 

 

論語に学ぶ

子 顔淵に謂いて曰わく、之を用うれば則(すなわ)ち行ない、これを舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。唯 我と爾(なんじ)と是れ有るか、と。

子路曰わく、子 三軍を行(や)らば、則ち誰と与(とも)にせん、と。

子曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)し、死して悔ゆる無き者は、吾 与にせず。必ずや、事に臨んで懼(おそ)れ、謀(はかりごと)を好んで而(しか)して成す者たれ、と。(「述而第七」10)

 孔子が弟子の顔淵に、自分を任用しようという者があれば、世の中へ出て活動する。しかし、見捨てられたら引退する。淡々と出処進退できるのは、私とお前だけだね」といいいます。すると、側にいた子路が少しやっかんで口を出し、三軍を指揮されるときは、だれを連れて行きますか」と質問をします。孔子は、「虎と組打ちしたり、大河を渡渉したりする、そういう無謀なことをして死んでもかまわないとするような者とは、一緒に仕事することはできない。私の仲間としたいのは、ことにあたって慎重に構え、十分に計画を練って成功するような人間」と答えたといいます。

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 義侠心、正義の味方のふりをし、勇ましくなって強者をくじこうとして、暴虎馮河、無謀な争いに巻き込まれることは絶対に避けなければならないのでしょう。

 防衛力を高めたところで、先々人口が減り国力が低下し続ければ、その維持さえおぼつかなくなってしまうのですから。そんなことを優先課題にせずに、最優先で取り組まなければならないことが他にあるのでしょう。

 政治の劣化が止まりそうにありません。政治家たちが孔子のような感覚を持つ日は来るのでしょうか。 

 

 

【明暗くっきりの2022年の10大ニュース】光り輝くスポーツ選手、すさむドロドロな現実社会

 

 大晦日になりました。今年2022年の10大ニュースで1年を振り返れば、明暗がくっきりした年だったのでしょうか。

発表! 2022年日本の10大ニュース : 読売新聞オンライン

 サッカーワールドカップでの日本チームの活躍に沸き立ち、米メジャーリーグでは大谷選手がベーブルース以来の偉業を達成し、日本では村上選手が本塁打数で記録更新しました。スポーツの世界では明るい話題が続く一方で、社会や政治は暗いニュースが溢れました。

五輪汚職

 五輪汚職はたいへん残念なニュースでした。明るい話題を提供してくれるスポーツの世界でも、ドロドロしたものが残っているように感じます。ルールを重んじるスポーツにおいてあってはならないのことなのでしょう。

 大会を成功に導きたいという一心から始まったことからもしれませんが、法治国家のはずの日本とは思えない醜態といっていいのではないでしょうか。

 

 

観光船事故

 知床で観光船が沈没するという痛ましい事故が起きました。多くの人が事故に巻き込まれ命を落としました。劣化する日本の縮図のような事故だったのかもしれません。ルールや規制、法があってもそれを守られなければ意味をなしません。ばれなければいいとの油断が、あるとき大事故につながるということなのでしょう。

政治の混乱、政府の大暴走

 元首相の銃撃事件をきっかけにして、旧統一教会の問題が再度明るみになり、政治とのつながりが白日の下にさらされました。信教の自由という言葉を持ち出しては、正邪、善悪を曖昧にします。組織票を得ることしか考えてこなかったの顛末なのでしょう。ことの重大さを認識し、禍根を断つことはできるのでしょうか。

 不思議なことにこの事件をきっかけにして、政治が暴走を始まりました。国葬、防衛3文書、原発新増設.......、この国はこの先どこに向かっていくのでしょうか。

欺かれるのはやっぱり国民 「虚構」の防衛財源スキーム【解説委員室から】:時事ドットコム

防衛費であれ何であれ、予算のお金に色は付いていない。防衛財源スキーム上は国債発行を回避できたように見えても、財源に転用した費用の穴埋めとして借金が新たに発生し、その分だけ国家財政は悪化する。剰余金を転用したつけを赤字国債で払うことになると、「国民を欺くことになる」(出所:JIJI.com)

 お金の使途が不明確のままでは、請求書だけが国民に押し付けられると記事は指摘します。何事においても透明性が欠け、ますます不透明な部分が増えているのかもしれません。

 

 

論語に学ぶ

人にして不仁ならば、礼を如何せん。人にして不仁ならば、楽を如何せん。(「八佾第三」3)

「仁」とは、「論語」の主要なテーマであり、多くの言葉でその意味を表現しようとしている通り、一言で定義することはむずかしいことと言われます。主には「愛」を指しているといわれ、広くは人間として持つべき「人の道」を指しているといいます。

 そうした「仁」を持たないような人間が、礼や規範、楽や文化を習ってみても、できようはずはない、何故ならもともと「礼」も「楽」も、仁から生まれたものなのだからといいます。それもあってのことか、「礼節は仁の貌(表現)」であり、「歌楽は仁の和(ハーモニー)」であるといいます。

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 この1年を振り返ってみれば、「仁」に欠ける人たちによって様々な問題が引き起こされたとみてもいいのではないでしょうか。もう少し人を思いやることができれば、悲惨なできごとは避け得たのではないでしょうか。

新しい景色、新しい時代

 サッカー日本代表の監督は、「新しい景色」を見に行こうと、選手を鼓舞し、相手チームを分析、それに見合った作戦で強豪国を打ち破っていきました。最終的には、その景色を見ることはできませんでしたが、その一丸となった努力で「新しい時代」を切り拓いたといいました。

 現実の世界では、スポーツのようにいくことはないのかもしれませんが、スポーツマンシップに則れば、もう少し違った展開はあるのかもしれません。

 

 

 スポーツマンシップとは、スポーツをにおける相手に対する思いやりや一個人として正しい行い全ての総称とされます。スポーツのルールを遵守してゲームを行っていくうえでの根本的な姿勢とされます。

スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手や審判に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向があり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマンシップの延長で見られる風習である。(出所:Wikipedia

 こうした精神を身につけて、仕事や政治が行われるようになれば、もっと世界は平和になるのでしょうし、日々がもっと感動に溢れることになるのではないでしょうか。

 来年は厳しい年になるとの予想が大半を占めているようです。身につけておくべき心構えなのかもしれません。

 

「参考文書」

発表! 2022年海外の10大ニュース : 読売新聞オンライン

 

【インフレ下の2022年】浮かび上がる次なる課題「少子高齢化」

 

 激動の2022年が終わろうとしています。「激動」の表現はあまり好きになれませんが、これもまた現実なのでしょう。新しい年は「平安」であることを願いたいですが、これもまた厳しそうです。

 この世にはパンデミックのような避け得ないものもあるのでしょうが、「対立」や「争い」などはコントロール次第で避けることができそうですが、なかなかそうできないことに愚かしさを感じずにはいられません。歴史から何も学んでいないということでしょうか。

 東西冷戦が終結し世界平和が実現したのかと思ったものですが、それもつかの間のはかない夢だったようです。理想を維持、発展させることは困難を伴うということなのかもしれません。そういう意味では、気候変動という新たな地球規模の課題に世界が協力、課題解決することで、次の理想に近づくのではないかと思います。しかし、世界がその課題を共有し解決に行動を一にするには時間がかかりそうです。何かと利害を優先させては、対立を生んでしまうようです。

 

 

 安定に向かいはじめると、それがまた次の不安定を生む要因になるのでしょうか。それも自然の摂理のような気がします。残念なことですが、再びあちらこちらで危機が高り始めているようです。しかし、歴史を見返してみれば、これこそが「正常」という意見もあるのかもしれません。

新たなる危機、世界的な少子高齢化

 世界的な人口爆発が続いていますが、それももやがて収束するといいます。一方、日本を筆頭に先進国では少子高齢化が進み、その傾向は今後拡大していくといわれています。

 これまでの平和の時代にあっては、中国や東欧諸国から安価な労働力が供給され、また女性の社会進出も加速し、理想的な労働人口構成になって、世界経済は飛躍的に発展したといいます。

 しかし、このような幸運な時代は終わりつつあり、これからは少子高齢化によって厳しい時代に突入していくという説があるそうです。

世界的なインフレが長期トレンドだとしたら日本は何をすべきか【江上剛コラム】:時事ドットコム

 チャールズ・グッドハートとマノジ・プラダンの著作である「人口大逆転ー高齢化、インフレの再来、不平等の縮小」では、少子高齢化で、インフレは一時的なものではなく、今後も続く可能性があると指摘しているといいます。

 

 

 この本では、人口大逆転(少子高齢化)がインフレ抑制をインフレ圧力に変えるといい、少子化は労働力の不足をもたらし、経済成長を鈍化させるとしているといいます。

高齢化は人口移動を低下させ、また介護は国内労働力に頼らざるを得なくなり、今までのようなグローバル化の進展は期待できない。(出所:JIJI.com)

亡霊に取りつかれた国

 こうした課題解決には国のリーダーシップが求められます。しかし、問題を直視せず、問題を的確に分析することなく、論理無きその場しのぎの対処に明け暮れます。その上、優先順位が低いはずの防衛費を増額させようと、その言い訳探しの分析に精を出し、色々こじつけを作っては増税増税と連呼します。これでは問題解決はますます遅れ、そのしわ寄せ国民に押し寄せてきます。

赤坂太郎 迷走の岸田、野望の茂木|文藝春秋digital

 亡き元首相の遺言だのどうので防衛費増額に躍起となっているようであれば、この国の行く先はどうなるのかと案じてしまいます。長きにわたる低迷を改善させることもなかったリーダーシップの亡霊に未だに縛られているのでは進歩があろうはずにもありません。

政治で最も肝要な「信用と信頼」を著しく損ねていることに当の岸田自身が気付いていない。(出所:文藝春秋

 

 

三国志、教養を得た猛将「呂蒙

三国志」の中に、呂蒙という武将が登場します。数々の戦功をあげる勇猛果敢な武将でしたが、主君孫権から教養の大切さを諭され、また「『孫子』『六韜』『左伝』『国語』、三史を読むのが良かろう」と言われ、「別に博士になれというのではない、ただ過去の事を多く知ってもらいたいだけだ」と説かれたといいます。

 それから呂蒙は学びをはじめて、結果として儒学者にも勝るほどの量の学問を身につけたそうです。そして、有名な

士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし

との言葉を遺します。「日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっている」と解され、転じて、いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よと意味といいます。

 孫権呂蒙を信用し重用します。そして、成人してから学問に励んだ武将として、呂蒙の名をあげます。そこから、進歩のない人間のことを「呉下の阿蒙(呉の呂蒙ちゃん)」と呼ぶようになったといいます。

 首相を筆頭に今の政権与党は、勇猛なのかもしれませんが、学びのない「呉下の阿蒙」なのではないでしょうか。

 

 

論語に学ぶ

樊遅(はんち)知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざくれば、知と謂(い)う可し、と。仁を問う。曰わく、仁とは、難きを先にし獲るを後にす。仁と謂う可し、と(「雍也第六」22)  

 孔子の弟子で勇士と称えられる樊遅が、知とは何ですかと質問しました。孔子は「民としてあるべき規範を身につけるよう努力し、神霊を尊び俗化しない。そうであれば知と言える」と答えます。樊遅が続いて、仁とは何ですかと質問すると、孔子は「仁は、過程を第一とし、結果を第二とする。それを仁と言うことができる」と答えました。

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 孔子は人を見て指導していたといいます。勇敢な樊遅に対し、「知」を「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざくれば」と諭しています。

 現代において、勇ましい政策を説く政治家にもこの「知」を心得てもらいたいものです。いつまでも亡霊を仰いでそれを俗化させてはならないのでしょう。学びがないから、これとは逆なことに陥ってしまうのでしょうか。

 増税して得ることを先にするのではなく、まずは難しい少子高齢化の問題に挑戦すべきということでもあるのかもしれません。どんなに困難な問題さえ、それを分析し、その問題を構成する小さな課題に置き換えることができれば、問題は解決に向かうといいます。そういう過程、手間が省かれているのかもしれません。

 

【強まる日本悲観論】言い得て妙、タモリさんの来年は「新しい戦前」

 

 年末を迎えて、来年はどんな年になるのかと予測があちらこちらから聞こえてきます。

 タモリさんが「徹子の部屋」に出演し、「誰も予測できないですよね、これは」とし、「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたといいます。

タモリ 来年は「新しい戦前」と予言…ネット反響「サラッと重い言葉」 | 東スポWEB

 タモリさんは、周辺国の緊迫で戦争に巻き込まれるのではないか…と危機感を抱いているのかもしれないと、記事はいいます。

新しい戦前」、言い得て妙ということでしょうか。考えさせられる言葉です。

 

 

新しい戦前

 日本は「空気」が支配する国だそうです。評論家の山本七平さんが、「空気の研究」でそう指摘していたそうです。

 そうなのかもしれません。何か戦前を感じさせるような空気が支配し、それに世論も流されているのかもしれません。

同質な人たちばかりが集まって、「あーでもない、こーでもない」といったところで、結局は同じアイデアしか生まれてこないのだ。(出所:Forbes)

 こう語るのは、立命館アジア太平洋大学出口治明学長。

 また戦前の昭和初期、「日本は狭いのだからこのまま人口が増えたら大変だ」という悲観論があったと指摘、遠い未来を見通せるほど人間は賢くないといいます。

企業も個人も「日本の伸びしろ」を探せ! 悲観を成長に変える思考力とは | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 未来のことを見通して、当たらない悲観論を嘆き、どうせだめだと思わずに行動していくことが大切といいます。

「そのためには、まず選挙に行くこと」。

「新しい戦前」という悲観論を現実化させないためには、出口学長の指摘の通りなのかもしれません。

 

 

すべての世代で投票率が上がり、特に若者が関心を示せば、政治家は当選し続けるために、必然的に若者のための政策を考えなくてはならない。投票したい候補者がいないから、選挙に行かないという人がいるが、誰もが考えるような優秀で魅力的な人物など、どこにいるのだろうか。(出所:Forbes)

 また、出口学長はウィンストン・チャーチルの言葉を引用し、「選挙というものは、相対的にちょっとマシな人を選ぶ」、それだけでいいのだといって、そうすれば変わらないように思えた未来も少しずつ変化していくといいます。

 かつて国会で、自身の疑惑を追及を受けた首相が、追求する野党を罵倒、正々堂々と否定し、自分の方がまだマシとの空気感を作ったのかもしれません。それに押し流されて、ここまで来てしまったのでしょうか。

新たな空気

 2025年になると労働力人口のうち、00年以降に成人を迎えたミレニアム世代や、その下の世代の人数が半数に達するようになり、それ以後、過半数を占めるようになるそうです。そうなると、彼らが醸し出す空気があっという間に日本中を支配するようになると主張するのは、ユーグレナ社の出雲社長。

ユーグレナ出雲社長が変節、「日本は生まれ変わる」:日経ビジネス電子版

日本の若者は賢いのです。現状では多数決をしても年配の世代には勝てません。そんな状況下でデモなんか普通、参加しないでしょう? 25年以降に本気を出すんです。今はね、エネルギーを余計なことに注ぐの方がもったいないのです。(出所:日経ビジネス

 出雲社長の主張に、日経ビジネスは、政界には年配の重鎮がいて、その周りにいる若い子飼いのちも毒気され、若いのに考え方が古ぼけ、また経済界でも官僚機構でも、これまでの概念に従っているほうが出世しやすいという空気感が漂っている、こんな状況で世代交代が進んだとしても、結局、何も変わらないのでは?」と反論します。

 すると出雲氏は、「今は多数決をしても負けるので、年配の世代に合わせているだけじゃないかなあ」といいます。

 自分たちの未来が古ぼけ、そしてあたりもしない悲観論で支配されるようなことがあっては堪ったものではありません。もうそれに気づき、時宜を得ようとしているのでしょうか

 

 

「未来はすべて次なる世代のためにある」、次なる世代を見守るのが先行き世代の役割で、できることは範を示すことであり、また時に暴走があったときにそれを諫めることくらいなのかもしれません。そうであれば、世代交代が粛々と進んでいくのでしょう。

論語に学ぶ

周は二代に監(くら)ぶれば、郁郁乎(いくいくこ)として文(あや)なるかな。吾は周に従わん。(「八佾第三」14)

 周王朝は、その前の夏・殷二代の王朝に比べると、華やかに発展している。私は周の文化に従うと意味します。

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 孔子版「ファクトフルネス」ということでしょうか。

 歴史を振り返り、時代が移ろい世代交代が進めば自然と、進歩、発展していくのでしょう。

 ついつい悲観論に支配されがちですが、やはり人間の努力によって未来は華やいでいくのでしょう。

 

 

【経済財政諮問会議】検証を求める声、自己都合の分析で、事実を抹殺しようとしていないか

 

他人の声が聞こえなくなったとき、人は失敗するといいます。他者や社会の声との隔たりが生じるからでしょうか。自分にとって耳障りのよい声だけを聞いていては真実を見逃す恐れがあります。

 政府が12月22日に開催した経済財政諮問会議の議事要旨が公開され、その中で、ある民間議員から、「デフレ脱却と持続的成長の実現に向けた政府・日本銀行の共同声明」について検証すべきとの意見が出たといいます。

政府・日銀の共同声明、「今こそ十分な検討が必要」との声-諮問会議 - Bloomberg

 記事によれば、第2次安倍政権発足直後の2013年1月に公表された共同声明では、金融政策を含むマクロ経済政策運営の状況や物価安定目標に照らした物価の現状と今後の見通しなどについて、経済財政諮問会議が定期的に検証を行うと定めていたそうです。

 

 

中空氏は、日銀によるイールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の運用見直しに関し、「将来から現時点を振り返った時、これが事実上の利上げ開始であったと考えられるというのが市場関係者の主流の見方」と説明。国債買い入れ増額については、バランスシートが膨らみ続け、市場機能低下の副作用もある中、「ソブリン格付けが引き下げられるリスクがあることを無視してはならない」とも述べた。(出所:ブルームバーグ

 OODAループの観察ではないですが、現状を正しく知るにはデータを多数の目により分析すべきなのでしょう。その方が異常、変位点に早く気づくはずです。

 持続的な成長を目標とし、それを真に望むのであれば、こうした声に真摯に耳を傾て、検証し、これまでの仮説、政策を見直していくのが求められます。

変わらない国、どの声を聞いているのだろうか

 熱烈な支持者の声にだけ耳を傾けて、その人たちを喜ばすだけの政治でよいのでしょうか。国が長く続く低迷から抜け出ることができない根本はそこにあるように思えてなりません。コアな支持者が喜べば、選挙に勝利することができるのでしょうが、国が必ずしも良い方向に向かうことはないのかもしれません。ましてそれがひどく偏った意見であればなおさらです。それでも国民の声を聞いたことになるのでしょう。それで善導できているかは疑問です。

 

 

論語に学ぶ

楚の狂接輿(きょうせつよ) 歌いて孔子を過ぐ。曰わく、鳳(ほう)や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往(ゆ)く者は諌(いさ)む可べからず、来たる者は猶(なお)追う可し。已(や)みなん已みなん。今の政(まつりごと)に従う者は、殆(あや)うし、と。孔子下(お)りて之と言わんと欲すも、趨(こばはし)りて之を辟(さ)く。之を言うを得ず。(「微子第十八」5)

 楚国の狂接輿という者が孔子のそばを「大鳥さんよ、大鳥さん、世の中真っ暗、徳が衰え、「往く者は諌む可べからず、来たる者は猶追う可し」。やめなされ、やめること。今の政治にかかわるのは危ういよ」と歌いながら通り過ぎて行きました。孔子は下車してその者と話そうとしたが、その者は小走りして敬意をはらいながら先へ行ってしまった。その者と話をすることは叶わなかったと意味します。

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「往く者は諌む可べからず、来たる者は猶追う可し」、過ぎ去ったことは、いかに止めようとしても取り返しがつかないが、将来のことは、心がけ次第でどのようにでもなるという意味です。失敗を悔やむよりも、それをくり返さないように気をつける方が大切ということです。

 

 

 国にあっては、様々な定例会議が設定されています。経済財政諮問会議のような、誤りを正す機会もきちんと設けられているようです。それなのにこうした場で、自分と異なる意見を少数の声として抹殺しまうと、ときにそこから大きな失敗が始まったりするのでしょう。自己過信ゆえの失敗といっていいのかもしれません。

データを軽んじる、都合よくデータ分析する

「データドリブン」が説かれています。「KKD」経験と勘と度胸ではなく、収集したデータの分析結果をもとに、課題解決のための施策を立案、意思決定をする手法と言われます。

 国の対応はどうなのでしょうか。政府は、内閣支持率のデータを一喜一憂せずと軽んじたようなことを口にします。半数以上の人たちが支持しない現状をどう認識しているのでしょうか。自分たちに都合の良いデータを使っているうちは、日本が良くなることはないのでしょう。

 

異次元緩和の代償、波乱を呼びそうな日銀の政策修正

 

 人はミス、過ちを犯す存在のなのだとつくづく思います。歴史を振り返ってみてもそうなのでしょうし、昨今の世界情勢を見ても、それは明らかなのでしょう。

 軍事侵攻したロシア、新型コロナ対策に失敗する中国、こうした国際情勢に適切に対処できなくなった米国。そして、その問題に巻き込まれていく日本。

 こうしたことが続けば続くほど、人は悲観的な感情に襲われ、個人としての防衛本能が強くなったりするのでしょうか。

 

 

 しかし、こうした問題は時間をかけて人によって解決されてきたのもまた事実なのでしょう。 現実に社会は少しずつ良くなり、進歩しています。それも歴史を振り返れば、知ることができます。

 そうはいっても、一時的な停滞や浮き沈みもあったりするのでしょう。

 日本は今、少しばかり長い最悪期に落ち込み、その状態が続いているのかもしれません。いくつかの人為的なミスが重なってのことなのでしょう。

世界を驚かせた黒田総裁、その代償は

 日銀がこれまで続けてきた維持緩和政策を突然修正し、市場を驚かせました。

vs.国家、市場の逆襲 日本国債売り「初の勝利」: 日本経済新聞

中央銀行や政府が生み出したゆがみを突いた市場に屈し、鉄壁の守りを誇った日銀ですらついに政策修正に追い込まれた。(出所:日本経済新聞

 金融緩和から引き締めへ、世界がその方向に向かうなか、緩んだ規律に市場の逆襲が始まっていると記事は指摘します。

「政策の不合理さが増していた」、こう批判されてしまえば、元も子もありません。これがすべてなのかもしれません。

 不合理、そのゆがみを利用して投機が行われるのは常のことなのでしょうし、それが健全化を求めるサインだったのでしょう。それを無視続けたのですから、政策修正は当然のことなのかもしれません。

 

 

「これ自体はひどくショッキングなニュースではないはずだ」、ただ日銀は市場に準備させることを何一つしなかったとの批判もあります。

【コラム】黒田総裁、突然の政策修正は降参か戦術的退却か-オーサーズ - Bloomberg

 世界から批判されるような合理的ではない行為を、日本の中央銀行が平然と続けてきたことはやはりショックなことです。これでは日本が長く低迷するのもわかるような気になります。信用を徐々に失った時間でもあったのかもしれません。

 苦難や試練、逆境を乗り越えると、時にそれを進歩の機会にできるといいます。

 こうした政策変更が終わりの始まりになって欲しいものです。不合理を正し、自然に流れる本流に戻れるべきなのでしょう。安定した大きな流れに乗れば、安心感とともに悲壮感はやがて失せていくのでしょう。

論語に学ぶ

子貢(しこう)問いて曰わく、師と商とは孰(いず)れか賢(まさ)れる、と。子曰わく、師や過ぎたり。商や及ばず、と。曰わく、然(しか)らば則ち師は愈(まさ)れるか、と。子曰わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と。(「先進第十一」16)

 弟子の子貢が「師(子張)と商(子夏)と、どちらがすぐれていますか」と尋ねると、孔子は「師は過ぎるところがあり、商は及ばないところである」と答えたといいます。

「では師のほうがすぐれているのですか」と子貢が尋ねと、孔子は「多いも少ないも同じことだ」と教えたといいます。

dsupplying.hatenadiary.jp

「過」も「不及」も同格であって、中庸を失っている点では、どちらもに良くないと意味します。

 弟子の子張は秀才といわれていましたが、子夏と議論すると、子夏の激しい調子を批判し、孔子のゆったりと相手の意見を聞く態度を学んでいないと指摘したそうです。さらに、小人の議論は、自分の意見だけが正しいと言い張り、目を怒らせ、腕をむき出しにし、早口で口から涎(よだれ)がたれ、目が赤くなり、勝を得ると喜びまわるとも批判していたそうです。こういうことが行き過ぎということでしょうか。

 

 

米中対立と日本

 米国と中国が激しく覇権争いし、対立しています。

 よくよく両国を観察すれば、子張と子夏の議論のようなもので、お互いに「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」ということがあるのかもしれません。

 洋の東西を問わず道徳の基本が「中庸」にあることを忘れてしまっているようです。

 無理してどちらかに組することもないのでしょう。そこにこそ合理性がありそうです。これまでの低迷の原因もそこにあるのかもしれません。極端になり過ぎていたように感じます。極端に尖れば、注目され、目立ちはしますが、それは一時的なことに過ぎないということでもあるのでしょう。

 これまでの極端を正することができれば、落ち着くところに落ちつくようなっていくのでしょう。