「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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【経済財政諮問会議】検証を求める声、自己都合の分析で、事実を抹殺しようとしていないか

 

他人の声が聞こえなくなったとき、人は失敗するといいます。他者や社会の声との隔たりが生じるからでしょうか。自分にとって耳障りのよい声だけを聞いていては真実を見逃す恐れがあります。

 政府が12月22日に開催した経済財政諮問会議の議事要旨が公開され、その中で、ある民間議員から、「デフレ脱却と持続的成長の実現に向けた政府・日本銀行の共同声明」について検証すべきとの意見が出たといいます。

政府・日銀の共同声明、「今こそ十分な検討が必要」との声-諮問会議 - Bloomberg

 記事によれば、第2次安倍政権発足直後の2013年1月に公表された共同声明では、金融政策を含むマクロ経済政策運営の状況や物価安定目標に照らした物価の現状と今後の見通しなどについて、経済財政諮問会議が定期的に検証を行うと定めていたそうです。

 

 

中空氏は、日銀によるイールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の運用見直しに関し、「将来から現時点を振り返った時、これが事実上の利上げ開始であったと考えられるというのが市場関係者の主流の見方」と説明。国債買い入れ増額については、バランスシートが膨らみ続け、市場機能低下の副作用もある中、「ソブリン格付けが引き下げられるリスクがあることを無視してはならない」とも述べた。(出所:ブルームバーグ

 OODAループの観察ではないですが、現状を正しく知るにはデータを多数の目により分析すべきなのでしょう。その方が異常、変位点に早く気づくはずです。

 持続的な成長を目標とし、それを真に望むのであれば、こうした声に真摯に耳を傾て、検証し、これまでの仮説、政策を見直していくのが求められます。

変わらない国、どの声を聞いているのだろうか

 熱烈な支持者の声にだけ耳を傾けて、その人たちを喜ばすだけの政治でよいのでしょうか。国が長く続く低迷から抜け出ることができない根本はそこにあるように思えてなりません。コアな支持者が喜べば、選挙に勝利することができるのでしょうが、国が必ずしも良い方向に向かうことはないのかもしれません。ましてそれがひどく偏った意見であればなおさらです。それでも国民の声を聞いたことになるのでしょう。それで善導できているかは疑問です。

 

 

論語に学ぶ

楚の狂接輿(きょうせつよ) 歌いて孔子を過ぐ。曰わく、鳳(ほう)や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往(ゆ)く者は諌(いさ)む可べからず、来たる者は猶(なお)追う可し。已(や)みなん已みなん。今の政(まつりごと)に従う者は、殆(あや)うし、と。孔子下(お)りて之と言わんと欲すも、趨(こばはし)りて之を辟(さ)く。之を言うを得ず。(「微子第十八」5)

 楚国の狂接輿という者が孔子のそばを「大鳥さんよ、大鳥さん、世の中真っ暗、徳が衰え、「往く者は諌む可べからず、来たる者は猶追う可し」。やめなされ、やめること。今の政治にかかわるのは危ういよ」と歌いながら通り過ぎて行きました。孔子は下車してその者と話そうとしたが、その者は小走りして敬意をはらいながら先へ行ってしまった。その者と話をすることは叶わなかったと意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

「往く者は諌む可べからず、来たる者は猶追う可し」、過ぎ去ったことは、いかに止めようとしても取り返しがつかないが、将来のことは、心がけ次第でどのようにでもなるという意味です。失敗を悔やむよりも、それをくり返さないように気をつける方が大切ということです。

 

 

 国にあっては、様々な定例会議が設定されています。経済財政諮問会議のような、誤りを正す機会もきちんと設けられているようです。それなのにこうした場で、自分と異なる意見を少数の声として抹殺しまうと、ときにそこから大きな失敗が始まったりするのでしょう。自己過信ゆえの失敗といっていいのかもしれません。

データを軽んじる、都合よくデータ分析する

「データドリブン」が説かれています。「KKD」経験と勘と度胸ではなく、収集したデータの分析結果をもとに、課題解決のための施策を立案、意思決定をする手法と言われます。

 国の対応はどうなのでしょうか。政府は、内閣支持率のデータを一喜一憂せずと軽んじたようなことを口にします。半数以上の人たちが支持しない現状をどう認識しているのでしょうか。自分たちに都合の良いデータを使っているうちは、日本が良くなることはないのでしょう。