「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【インフレ下の2022年】浮かび上がる次なる課題「少子高齢化」

 

 激動の2022年が終わろうとしています。「激動」の表現はあまり好きになれませんが、これもまた現実なのでしょう。新しい年は「平安」であることを願いたいですが、これもまた厳しそうです。

 この世にはパンデミックのような避け得ないものもあるのでしょうが、「対立」や「争い」などはコントロール次第で避けることができそうですが、なかなかそうできないことに愚かしさを感じずにはいられません。歴史から何も学んでいないということでしょうか。

 東西冷戦が終結し世界平和が実現したのかと思ったものですが、それもつかの間のはかない夢だったようです。理想を維持、発展させることは困難を伴うということなのかもしれません。そういう意味では、気候変動という新たな地球規模の課題に世界が協力、課題解決することで、次の理想に近づくのではないかと思います。しかし、世界がその課題を共有し解決に行動を一にするには時間がかかりそうです。何かと利害を優先させては、対立を生んでしまうようです。

 

 

 安定に向かいはじめると、それがまた次の不安定を生む要因になるのでしょうか。それも自然の摂理のような気がします。残念なことですが、再びあちらこちらで危機が高り始めているようです。しかし、歴史を見返してみれば、これこそが「正常」という意見もあるのかもしれません。

新たなる危機、世界的な少子高齢化

 世界的な人口爆発が続いていますが、それももやがて収束するといいます。一方、日本を筆頭に先進国では少子高齢化が進み、その傾向は今後拡大していくといわれています。

 これまでの平和の時代にあっては、中国や東欧諸国から安価な労働力が供給され、また女性の社会進出も加速し、理想的な労働人口構成になって、世界経済は飛躍的に発展したといいます。

 しかし、このような幸運な時代は終わりつつあり、これからは少子高齢化によって厳しい時代に突入していくという説があるそうです。

世界的なインフレが長期トレンドだとしたら日本は何をすべきか【江上剛コラム】:時事ドットコム

 チャールズ・グッドハートとマノジ・プラダンの著作である「人口大逆転ー高齢化、インフレの再来、不平等の縮小」では、少子高齢化で、インフレは一時的なものではなく、今後も続く可能性があると指摘しているといいます。

 

 

 この本では、人口大逆転(少子高齢化)がインフレ抑制をインフレ圧力に変えるといい、少子化は労働力の不足をもたらし、経済成長を鈍化させるとしているといいます。

高齢化は人口移動を低下させ、また介護は国内労働力に頼らざるを得なくなり、今までのようなグローバル化の進展は期待できない。(出所:JIJI.com)

亡霊に取りつかれた国

 こうした課題解決には国のリーダーシップが求められます。しかし、問題を直視せず、問題を的確に分析することなく、論理無きその場しのぎの対処に明け暮れます。その上、優先順位が低いはずの防衛費を増額させようと、その言い訳探しの分析に精を出し、色々こじつけを作っては増税増税と連呼します。これでは問題解決はますます遅れ、そのしわ寄せ国民に押し寄せてきます。

赤坂太郎 迷走の岸田、野望の茂木|文藝春秋digital

 亡き元首相の遺言だのどうので防衛費増額に躍起となっているようであれば、この国の行く先はどうなるのかと案じてしまいます。長きにわたる低迷を改善させることもなかったリーダーシップの亡霊に未だに縛られているのでは進歩があろうはずにもありません。

政治で最も肝要な「信用と信頼」を著しく損ねていることに当の岸田自身が気付いていない。(出所:文藝春秋

 

 

三国志、教養を得た猛将「呂蒙

三国志」の中に、呂蒙という武将が登場します。数々の戦功をあげる勇猛果敢な武将でしたが、主君孫権から教養の大切さを諭され、また「『孫子』『六韜』『左伝』『国語』、三史を読むのが良かろう」と言われ、「別に博士になれというのではない、ただ過去の事を多く知ってもらいたいだけだ」と説かれたといいます。

 それから呂蒙は学びをはじめて、結果として儒学者にも勝るほどの量の学問を身につけたそうです。そして、有名な

士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし

との言葉を遺します。「日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっている」と解され、転じて、いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よと意味といいます。

 孫権呂蒙を信用し重用します。そして、成人してから学問に励んだ武将として、呂蒙の名をあげます。そこから、進歩のない人間のことを「呉下の阿蒙(呉の呂蒙ちゃん)」と呼ぶようになったといいます。

 首相を筆頭に今の政権与党は、勇猛なのかもしれませんが、学びのない「呉下の阿蒙」なのではないでしょうか。

 

 

論語に学ぶ

樊遅(はんち)知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざくれば、知と謂(い)う可し、と。仁を問う。曰わく、仁とは、難きを先にし獲るを後にす。仁と謂う可し、と(「雍也第六」22)  

 孔子の弟子で勇士と称えられる樊遅が、知とは何ですかと質問しました。孔子は「民としてあるべき規範を身につけるよう努力し、神霊を尊び俗化しない。そうであれば知と言える」と答えます。樊遅が続いて、仁とは何ですかと質問すると、孔子は「仁は、過程を第一とし、結果を第二とする。それを仁と言うことができる」と答えました。

dsupplying.hatenadiary.jp

 孔子は人を見て指導していたといいます。勇敢な樊遅に対し、「知」を「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざくれば」と諭しています。

 現代において、勇ましい政策を説く政治家にもこの「知」を心得てもらいたいものです。いつまでも亡霊を仰いでそれを俗化させてはならないのでしょう。学びがないから、これとは逆なことに陥ってしまうのでしょうか。

 増税して得ることを先にするのではなく、まずは難しい少子高齢化の問題に挑戦すべきということでもあるのかもしれません。どんなに困難な問題さえ、それを分析し、その問題を構成する小さな課題に置き換えることができれば、問題は解決に向かうといいます。そういう過程、手間が省かれているのかもしれません。