「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

特定団体とのつながりを公表する面々、政権与党はそれを問題なしとしてよいのだろうか

 

 常識的に考えてもあり得ないだろうと思うことが日常茶飯事のようになってはいないかと思う今日この頃です。色眼鏡をかけてものごとを見てはならないと思ってはいるものの、大臣たちが問題視される特定の団体との関係を認め、さらにはこの先の選挙協力を否定しないことには少々驚きました。信じる自由が認められていますが、それでいいのでしょうか。疑念がわきます。

旧統一教会と「組織的関係なし」 茂木自民幹事長、所属議員に注意促す:時事ドットコム

 政権与党の幹事長は、党として組織的関係がないといったそうですが、社会的に問題が指摘される団体との関係は、厳正かつ慎重であるべきだと、党所属議員に対して注意を促したといいます。それだけ関係する議員が多いとを認めたということでしょうか。それが他者の目にはどう映るのか、考えたことはあるのでしょうか。

 また、参院幹事長は、特に国会議員は国民に影響を与えるので、細心の注意を払って行うべきだ。あるいは行わないべき」と述べたそうです。

 ここまで言うのであれば、綱紀粛正があってしかるべきと思えますが、どうなのでしょうか。自浄する力はあるのでしょうか。

 

 

論語に学ぶ

鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事(つか)う可(べ)けんや。其の未だ之を得ざるに、之を得んことを患(うれ)え、既に之を得るや、之を失わんことを患う。苟(いやし)くも之を失わんことを患うれば、至らざる所無し。(「陽貨第十七」13)

「つまらぬ人間と一緒に主君に仕えることが出来るであろうか。まだ下っ端のときに、出世できるかどうか心配し、地位を得ると、なんとかしてて失うまいと苦心する。失うまいとする限り、そのためにはどんなことでもする」と意味します。

dsupplying.hatenadiary.jp

 利欲しか考えるしか出来ない人は、そのためには何でもしてしまうといいます。

岸防衛相、旧統一教会員から選挙支援 二之湯国家公安委員長はイベントに名義:時事ドットコム

 選挙だからといって誰彼構わず手を借りて良いものなのでしょうか。そうしたことを躊躇することなくできてしまう人たちに大臣の重責を担う資質があるのでしょうか。

 あるものから手を借りれば、その者に手を貸すことになっていないでしょうか。

 因果応報、もしかしたらこういうことが遠因になって、国が善い方向に向かわないのかもしれません。

 

 

 定年まで3年を迎えたタイヤ大手の住友ゴム工業のある部長が変革に挑み、自ら降格を申し出て、属人的なタイヤ設計の標準化に取り組んでいるそうです。

「私を部長から降ろしてください」住友ゴム技術者、57歳からの挑戦:日経ビジネス電子版

その背景には、標準化、システム化することによって生まれる余剰時間で先端技術の研究に取り組んで欲しいという、後進への思いがあるそうです。

 為政者たちにもこんな気概があればいいのではないでしょうか。この国を次の世代に渡すため、どんな国であるべきかと真剣に思うことはあるのでしょうか。