「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

ブロック経済と自由貿易、岐路に立つ日本

 

「世界経済を敵対するブロックに分割することは、繁栄にも平和にもつながらない。それが歴史の教訓だ」と、WTO世界貿易機関のオコンジョイウェアラ事務局長が警告しているそうだ。

 冷戦終結後、拡大してきたグローバル経済が岐路に立っていると、毎日新聞はいう。

社説:岐路のグローバル経済 分断広げぬ仕組み新たに | 毎日新聞

 ウクライナ危機で、供給網サプライチェーンの混乱が世界に広がり、身近な製品にもしわ寄せが生じているという。

グローバル化のひずみが顕在化し、目算は狂った

新興国との競争にさらされた先進国では、雇用不安や格差が社会問題となった。米中対立が続く中、ウクライナ危機が起き、民主主義や人権を尊ぶ国と権威主義的な国との分断が深まっている。(出所:毎日新聞

 

 

 そうなのかもしれない。

 グローバリゼーションは楽観的過ぎたのだろう。どの国も経済的恩恵を享受すれば、権威主義もやがて衰退し、自由で開かれた世界になっていくと考えたのかもしれない。

 ただ現実は異なっていた。

 先進国の中流階級が担っていた仕事が新興国に移動することで、低価格という利益を得たが、その代償として、雇用不安が生じ、格差が拡大した。一方、新興国は安価な労働力を提供することで先進国からの富を得て、力をつけていった。

 それが世界の工場となった中国なのだろう。しかし、権威主義を捨てなかった。そして、やがて対立へと発展していった。

論語に学ぶ

与(とも)に学ぶ可(べ)きも、未だ与に道に適(ゆ)く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権(はか)る可べからず、と。

唐棣(とうてい)の華、偏(へん)として其れ反せり。豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや。室(しつ)是れ遠し、と。子曰わく、未だ之を思わざるか。何の遠きことか之有らん、と。(「子罕第九」30)

「 一緒に学問をすることはできても、同じ考え方をもち同じ道に進みうるとはかぎらない。同じ道を行くことはできても、同じように学問に成就して、自分の思想を確立できるとは、かぎらない。一緒に思想を確立しても、特定の問題について適切な処置をせねばならぬ場合に、同じ行動をなしうるとはかぎらない。人間というものはそれぞれ個体であるから、それぞれに条件づけられていて、志を一にしていても、究極においては別の道を歩み、別別に死ななければならないのではないか。ただ、愛だけでが人と人とを合致させることができる」と意味する。

 

 

 「唐棣」とはニワザクラのことで、その咲き方は普通の花とは反対に、まず開いた後で、花びらが蕾のように合するのだという。

「唐棣(にわざくら)の花、風にゆらゆら、恋しいおまえ、だけどすまいが遠すぎる」

 この花を、権道のたとえとして引いていると桑原武夫はいう。

「権道」とは、常道には反するが、臨機応変によって、よい結果、すなわち正義にかなった結果をもたらす処置をいう。鄭玄の注には、「権なるものは経(つね)に反して、義に合す。尤(もっと)も知り難きなり」とあるという。

 人と人とが合致することは学問の上でも、実生活においても、至難ではあるが、人間社会には愛というものがあると指摘しているという。

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「世界の分断に歯止めをかけ、経済の活力を保てる仕組みに刷新する必要がある」と毎日新聞はいう。

「国際社会が協調する仕組みを欠いたままでは、気候変動やデジタル社会の基盤作りといった課題にも対応できない」と指摘し、日本は安全で信頼できるデータ流通のルール作りを主導する立場にあるという。

説得力のある政策を提案し、関係国の利害を調整しながら、成果を重ねることが肝要だ。グローバリズムの副作用に目配りしつつ、自由貿易体制の理念を掲げて開かれた経済を堅持する。そうした取り組みを主導することが、日本をはじめ主要国の責務である。(出所:毎日新聞

 そううまくできるのだろうか。

 

 

「色斯(しきし)として挙(あが)り、翔(かけ)りて後に集まる。曰わく、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかな、と。

子路(しろ)之に共(きょう)す。三嗅(さんきゅう)して作(た)つ」。(「郷党第十」21)

「めすの雉(きじ)は、驚くと飛び去り、上昇して何度も飛び回り、そのあと静かに降りてくる。それを見ていた孔子はこういった。「丸木橋にいた、あの雉は時だな、時だな」と。すると子路は、そのめす雉を捕えて、調理して孔子にだした。孔子は何度も匂いを嗅いだあと起立したのであった」と意味する。

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 孔子が雌の雉を見て、時機を心得ていると感心し、「時なるかな」と発した言葉を、子路が食べごろの「時」と勘違いして調理してしまう。

 物事を進めるには時宜を得る必要があるのだろう。しかし、ついつい目先の利に走ってしまうのかもしれない。それでは本末転倒、目的を達成することが危ぶまれてしまう。これが現実の世界なのかもしれない。

 

 

 反り返った権道と常道が、再び同じ道を歩むことはあるのだろうか。

 中国は自ら率先し世界の工場に徹し、富を得、力を得た。貧しかった国民も豊かさを手に入れた。そして、力こそ正義と言わんばかりになっていったのかもしれない。

富 求む可(べ)くんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえど)も、吾も亦(また)之を為さん。如(も)し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。(「述而第七」11)

「どんと儲かることができるものならば、通行者の整理のような仕事であろうと、私はそれをしよう。しかし、それによって特段儲かるような仕事でないのならば、貧乏を覚悟で自分の好きな道に没頭して暮らしたい」と意味する。

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 思案のしどころなのかもしれない。

 米国が安全保障を口にし、ブロック経済を推し進めようとするのも理解できない訳ではない。富の源泉を遮断すれば、相手は力を減じていく。一方、グローバル化の恩恵を享受した中国は、問題を抱えながらも現状維持を標榜し、自由貿易を望むのではなかろうか。

 必要なものが必要なときに手に入らなくのは困るが、現状のままでは経済は疲弊しないだろうか。

 

 

 「論語と算盤」の著者渋沢栄一は、この章を「正当な方法で富が得られないのであれば、いつまでも富に恋々としていることはない。気に入らないことをして富みを手にするより、むしろ貧賤に甘んじてまっとうな生き方をした方が良い」との意味という。

 「....もっとも孔子のいう富は、何があっても正しいと認められる富のことだ。正しくない富や、道にはずれた名声であれば、いわゆる「浮き雲」のようで、すぐに消えてしまう」と渋沢はいう。孔子もまた自ら進んで、こうしたまっとうな生き方にかなった富や地位、手柄や名声を手に入れようとしていたともいう。

 岐路なのかもしれない。

 戦略物資の安全保障の観点から半導体国産化を進めようとしている。半導体の世界的な逼迫から、半導体各社が能力増強を急いでいるという。

半導体技術者の求人急増 国内の昨年度、12年度比10倍に: 日本経済新聞

 日本経済新聞によれば、国内で半導体の設計などを担うエンジニアの求人が急増しているという。2021年度の求人件数は12年度比10倍と、過去10年で最高を記録したそうだ。優秀なエンジニアの確保は製品の競争力や製造効率に直結するという。

 従来であれば、海外ファウンドリーに頼っていたのだろうか。しかし、今はそうもいかないのだろう。時宜を得ているということなのかもしれない。