色斯(しきし)として挙(あが)り、翔(かけ)りて後に集まる。曰わく、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかな、と。子路(しろ)之に共(きょう)す。三嗅(さんきゅう)して作(た)つ。(「郷党第十」21)
(解説)
「めすの雉(きじ)は、驚くと飛び去り、上昇して何度も飛び回り、そのあと静かに降りてくる。それを見ていた孔子はこういった。「丸木橋にいた、あの雉は時だな、時だな」と。すると子路は、そのめす雉を捕えて、調理して孔子にだした。孔子は何度も匂いを嗅いだあと起立したのであった。」(論語 加地伸行)
「色斯」は、鳥が飛び挙がることの疾(はや)さを表すさま。
孔子が雌の雉を見て、時期を心得ていると感心し、「時なるかな」と発した言葉を、子路が食べごろの「時」と勘違いして調理してしまう。「時機を知る」雌雉を褒めたので、道義を尽くせば、その雌雉を食すわけにはいかない。孔子は本意でないが、子路の気持ちを無にするわけにはいかず、「三嗅而作」。
後段については、別の解釈もあり、子路が雉の賢さを試そうと餌を与えたが、雉は何度も匂いを嗅いだ後飛び立ってしまったというのである。
(参考文献)