「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん】 Vol.162

 

子曰わく、富 求む可(べ)くんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえど)も、吾も亦(また)之を為さん。如(も)し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。(「述而第七」11)

  

(解説)

孔子の教え。どんと儲かることができるものならば、通行者の整理のような仕事であろうと、私はそれをしよう。しかし、それによって特段儲かるような仕事でないのならば、貧乏を覚悟で自分の好きな道に没頭して暮らしたい」論語 加地伸行

    

 「論語と算盤」の著者渋沢栄一は、「経済活動」と「富と地位」を、孔子はどう考えていたかと問い、「孔子は富と地位を嫌っていた」とするのは間違いであるという。

 この章も「富と地位」を軽蔑したように解釈されているのかもしれない。

 「富が求める値打ちを持っているなら、どんな賤しい仕事にもつく」、渋沢は正しい道や道徳によって富が得られるならと解釈する。つまり、この章の裏には「正しい道を踏んで」という一句が、あることを注意しなければならないという。

「正当な方法で富が得られないのであれば、いつまでも富に恋々としていることはない。気に入らないことをして富みを手にするより、むしろ貧賤に甘んじてまっとうな生き方をした方が良い」との意味なのだ。

まっとうな生き方に合わない富は見切ったほうがよいが、好んで貧賤にいた方がよいなどはいっていないのだ....

「まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても金儲けせよ。しかし、まっとうではない手段をとるくらいなら、むしろ貧賤でいなさい」。 (引用:「論語と算盤」P93)

 

 

如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん

 渋沢がいう「まっとうな生き方」とは、その仕事が好きでやっていることなのかも問われているのかもしれない。逆説的には、嫌々やる仕事では、正しい道を踏むことが難しくなると言っているように聞こえる。 

 

 「....もっとも孔子のいう富は、何があっても正しいと認められる富のことだ。正しくない富や、道にはずれた名声であれば、いわゆる「浮き雲」のようで、すぐに消えてしまう」と渋沢はいう。

 

dsupplying.hatenadiary.jp

 

 孔子もまた自ら進んで、こうしたまっとうな生き方にかなった富や地位、手柄や名声を手に入れようとしていたと、渋沢はいう。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)