「ウェルビーイング」にということばが気になります。コロナ禍を経験し、気候変動を憂慮するからでしょうか。
「ウェルビーイング」とは、誰かにとって本質的に価値のある状態、つまり、ある人にとってのウェルビーイングとは、その人にとって究極的に善い状態、その人の自己利益にかなうものを実現した状態と、ウィキペディアにあります。
自己の内面を知り、「本来の自分でいられるという幸せ」ということなのでしょうか。
ウェルビーイングの形、「本来の状態」でいられるという幸せ 日本社会を変えるウェルビーイングの大潮流(8)(1/5) | JBpress (ジェイビープレス)
JBpessによれば、あるアンケート調査の結果から、Z世代の人たちは、身体的健康と並んで精神的健康を求めている状況がうかがえるといいます。
「あなたにとって「健康」の意味とは何ですか?」という問い、「病気がないこと」という答えの他にも、「心が平和で穏やかなこと」、「幸せを感じること」などメンタルヘルスに関わる回答を選んだ人も半数以上にのぼったそうです。
論語の教え
「疏食(そし)を飯(く)らい、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦その中に在(あ)り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲の如し」と、「述而第七」15 にあります。
昨今の状況からすれば、こうした面持ちで生活したいなと思うことが多々あります。
渋沢栄一の解説を持ち出すと、少々堅苦しいのですが、こういいます。
「不義を行っても、富貴利達を求めようとするのは人として恥ずべきことで、毫も楽しいわけのものでは無い。それよりは寧ろ水を飲んで疏食し、小さな陋屋に肱を枕にして暮す方が遥に楽しみなものである、と孔子がいったに過ぎない」といいます。
正しからぬことをすれば、心は落ち着かず、心の平安、幸せと感じる心からかけ離れてしまいます。そうは言えども、生活のためには金銭は必要であり、それを求めなければ、暮らしも成り立たない。
であるに、金銭を求め、向上心があれば、少ないよりは多いほうがいいと、その欲望がもたげ始めたりします。このへんの心のあり方を戒めた言葉なのでしょうか。
実際、粗衣疏食するのみで陋巷に住居して暮すのが人生の理想であり、富貴は浮雲の如きもの故之に一顧だにも払つてはならぬものだとすれば、これまでも屡々申述べ置ける如く、孔夫子の命のままに博く民に施して如何に衆を済はうとしても之を実現し得られ無くなる。不義によつて得る富貴は浮雲の如くであるから、不義をしてまでも富貴を得んとする必要は無いが、義により理によつて富貴を求むるのは、決して悪い事でも無ければ賤しい事でも無いのだ。 (引用:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団)
歴史に名を残し、大河ドラマの主人公になる人物です。その個性がユニークだからこそ、資本主義の父とまで言われる数々の偉業を成し得たのかもしれません。そう言いつつも、今でいうような尖ったところはなく、平凡を希求していたように感ずるところは多々あります。平凡をとことんと追求するが故に、それが極めて強い個性になったともいえるのかもしれません。 「平凡ゆえに理解せられず」とも栄一はいっています。
平凡な言行も平凡過ぎれば、かえって一般世間から理解されない
「二三子(にさんし)、我を以て隠すと為すか。吾は隠す無し。吾 行ないて二三子と与(とも)にせざるもの無し。是れ丘(きゅう)なり」と、「述而第七」23 にあります。
「孔子が教得ることと言えば、深遠なる学理にもあらず、また哲理めいた神秘なものでも無く、至極平凡で、有り触れた仁義忠孝礼智信の実践道徳以外になかった」と栄一は指摘します。
「孔子の言行が余りに平凡であったからかえって、弟子等に諒解せられなかったのだ」と栄一はいいます。
孔子に教えを乞う弟子たちからすれば、何んとなく物足らない感じがし、深遠な学理や複雑な哲理は深くしまい込み、我々弟子たちには聴かせてもらえない、そんな声を耳にした孔子が、こう述べたものだと、解説します。
学者だとか称せられるものの中には、平易に説きさえすれば解り切つてるようなことを、あえて廻りくどく難かしい理窟にして説き教えるものもいる。それで得意になっているが、孔子は決して人を騙すような術は使わず、平易な事は、誰でも解るように平易に説いて聴かせられたのだ。ただ、それでは何となくありがたみに乏しく、不平を漏らす者もあったのであろう。(参考:「実験論語処世談」 渋沢栄一記念財団)
ウェルビーイング
ウェルビーイングもその言葉からすると、ややもすれば難しく聞こえてしまいますが、実は孔子や栄一が説く、平凡なことなのかもしれません。
ウィキペディアによれば、NHS イギリスの国民保健サービスは2014年に、「精神的ウェルビーイング」の獲得方法として、5つを推奨しているそうです。
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地域や家族とつながりを持つこと。
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身体的運動を行うこと。自分が楽しめ生活の一部になるようなもので。
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スキルを得ようと学ぶこと。料理、楽器、自転車修理などからでよい。
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他の者に与えること。言葉や笑顔のような小さなものからでよい
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今この瞬間に注目すること、マインドフルネス。
栄一ではないですが、平凡に見えるごく身近なことを大切にすれば、自分らしさを取り戻し、心の平安や幸せが、やって来るのかもしれません。
これに、「自分が暮らす環境を大切にすること」が加わってもいいのかもしれません。あまり難しくする気はないのですが、こうしたことが、SDGsや気候変動にも関わってくるように思います。