子曰わく、与(とも)に学ぶ可(べ)きも、未だ与に道に適(ゆ)く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権(はか)る可べからず、と。
唐棣(とうてい)の華、偏(へん)として其れ反せり。豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや。室(しつ)是れ遠し、と。子曰わく、未だ之を思わざるか。何の遠きことか之有らん、と。(「子罕第九」30)
(解説)
「孔子の教え。その人と共に学ぶことができたとしても、その人と人の道を行くことができるわけではない。その人と人の道を行くことができたとしても、その人と信念を同じくして世に出ることができるわけではない。その人と同じ信念で世に出たとしても、その人と一つ一つのできごとに対して同じ判断を下せるわけではない、と。
ところで、「唐棣の花は開いたが、花弁がたがいに背を向けている。あなたを想わないであろうか。たがいの家が遠いためだ」とある。孔子はおっしゃった。「まだ恋をしていないと言うのか。どうして遠くて逢えないことなどあろうか」と。」(論語 加地伸行)
桑原の解説
このは章は「唐棣之華」の前で切って二章とする新注と、連続して読む古注があるそうだ。桑原は古注で解している。
この章の後半はきわめて難解だが、前半は人間がともに学問に志しても、その後の協力して仕事を行うことが極めて困難だという指摘だが、後半とあいまって何をいおうとしているのか、十分にとらえ切れないという。
いっしょに学問をすることはできても、同じ考え方をもち同じ道に進みうるとはかぎらない。同じ道を行くことはできても、同じように学問に成就して、自分の思想を確立できるとは、かぎらない。いっしょに思想を確立しても、特定の問題について適切な処置をせねばならぬ場合に、同じ行動をなしうるとはかぎらない。人間というものはそれぞれ個体であるから、それぞれに条件づけられていて、志を一にしていても、究極においては別の道を歩み、別別に死ななければならないのではないか。ただ、愛だけでが人と人とを合致させることができる。
昔の歌に、「唐棣(にわざくら)の花、風にゆらゆら、恋しいおまえ、だけどすまいが遠すぎる」というのがある。道のりが遠いなどというのは、まだ本当に愛していないからだ。惚れて通れば千里も一里、というではないか。
「唐棣」とはニワザクラのことで、その咲き方は普通の花とは反対に、まず開いた後で、花びらが蕾のように合するのだという。この詩句はいわゆる「逸詩」で、断片として残っていて詩全体がわからないので、解釈は困難である。ただ古注ではこの花を権道のたとえとして引いたのだとする。権道とは常道には反するが、臨機応変によって、よい結果、すなわち正義にかなった結果をもたらす処置をいう。鄭玄の注に、「権なるものは経(つね)に反して、義に合す。尤(もっと)も知り難きなり」とある。孔子は俗謡を引いて、いかに遠くても愛はそれを近づけるという意味で、非合理的なものを含む権道もまた同じで、熱意をもって考えれば必ずしもむつかしいものとはかぎらない、といおうとしたのであろうか。桑原はあえてそこまで合理化せず、鄭玄が「偏其反而」を「翩其反而」とよみかえ、「其の華は翩々(へんべん)と風に順(まか)せて返(そ)る」と注するの従い、貝塚説に近づいて、人と人とが合致することは学問の上でも、実生活においても、至難ではあるが、人間社会には愛というものがあると指摘したものと受けとっておくという。
感覚的には孔子の言わんとすることが理解できるような気がする。しかし、それを言葉として言い表すことは自分の言語能力では敵わない。孔子の表現能力に感服するしかない。
(参考文献)