「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

暗いニュースばかり、オミクロン株の市中感染に、牛丼の値上げ ~ 炉辺閑話 #76

 

 オミクロン株の市中感染が大阪で確認されたといいます。大きな感染拡大にならないことを願うばかりです。目を世界に転じれば、再びコロナが勢いを増しているように感じます。ロンドンではオミクロン株が9割に達しているといいます。日本も時間の問題ということなのでしょうか。

 なかなかコロナ禍から抜け出ることが出来そうにありません。

 マクドナルドのポテトの販売が一時中止となるそうで(Sサイズのみ販売継続)、サプライチェーンの混乱もまだ続いているようです。

物価高の予感

 牛丼チェーンのすき家が「牛丼」の値上げを発表しました。2015年4月以来の値上げといいます。

牛丼値上げ、3社出そろう 原材料高・円安響く: 日本経済新聞

 日本経済新聞によれば、輸入牛肉など原材料価格の上昇に加え、円安で費用が膨らんでいるのが理由といいます。牛丼3社は9月以降に全社が値上げに踏み切り、デフレの象徴的存在だった牛丼業界は転換点を迎えているといいます。

 

 

「脱成長」は理想か

「楚の狂接輿(きょうせつよ) 歌いて孔子を過ぐ。曰わく、鳳(ほう)や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往(ゆ)く者は諌(いさ)む可べからず、来たる者は猶(なお)追う可し。已(や)みなん已みなん。今の政(まつりごと)に従う者は、殆(あや)うし」と、論語「微子第十八」5 にあります。

 楚の国の狂接輿という者が「大鳥さん、大鳥さん、徳が衰え、世の中真っ暗。すんだことはそれまで。これから先、何とでも。やめなされ、やめること。お上はみな、やばいよ」と、歌いながら孔子のそばを通り過ぎていったとの意味です。

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「狂接輿」、楚の隠者とされるそうですが、人名ではなく、「狂人が「輿」に接して」と読むのがよいのかもしれないと加地伸行が解説しています。

「狂人」、進取の気性があり、志が高くいちずに理想に走る人のことをいうそうです。

 今の世もまた同じ状況なのでしょうか。こんな状況が長く続けば、現世の「狂人」たちが理想を説くのもわかるような気がします。

 

 

「脱成長」なるものを説く人がいます。「狂人」のひとりといっていいのでしょうか。

脱成長の真意は…人新世の『資本論』斎藤幸平さん|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

これ以上、成長を続けて、より幸せになれるだろうか

むしろ、今あるパイは十分すでにあるんじゃないか。私たちが貧しい、日々の生活が苦しいのは、十分にモノがないからではなく、一部の人たちが多く取りすぎているからじゃないか。(出所:テレ朝news)

「成長を追い求めてきた社会が、今さら『脱成長』に変わることなど、できるのか」、「人間って競争したがるもので、お金はたくさん儲けたがる、成長し続けたがる存在。それって人間の本性の部分でもあるのではないか。つまり、人間の本性と違うことをやるには、相当なエネルギーと変革が必要なのではないか」と思う人もいるのでしょう。

 理想に近づいていくのは難しいことなのでしょうか。

瑞兆(吉兆)見えず

「鳳鳥(ほうちょう)至らず。河(か)図(と)を出ださず。吾已(や)んぬるかな」と、「子罕第九」9 にはあります。

 孔子の嘆きです。「鳳鳥」とは、美しい羽根をもった空想の霊鳥で、聖王が出現するときにあらわれるといいます。「図」とは黄河の中から竜馬が背負ってあらわれて、聖王を歓迎するという神秘的な図形のことをいうそうです。孔子がこうした瑞兆があらわれず、自分の運命もここにきわまったと嘆いたといいます。

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 時は春秋の時代、諸侯が各地に割拠して、聖王賢君現われずして政治が廃れ、道徳も衰えて地を払うに至っていたのだと、渋沢栄一が解説しています。

 政道が頽(くずお)れると、自己主義の人ばかり多くなって、道が広く世に行われないようになる。この有様を見て、孔子が嘆息の声を発したといいます。

 もし孔子が今の世を見たら、同じように「吾已んぬるかな」と嘆くのかもしれません。

アベノマスク

 いわゆるアベノマスクが約8000万枚在庫になっているといいます。首相が今年中にこのマスクを廃棄する方針を明らかにしたそうです。

 マスクは「国有財産」として扱われているといいます。使われる予定がないのなら、その在庫は未来永劫、保管されることになるのでしょうか。

 使う見込みがないのなら、早期に廃棄することが賢明なのでしょう。在庫はムダといわれ、極論すれば、悪とされています。在庫、保管のためにその費用を払い続けなければならないからです。これまでにも6億円の費用を費やしたといいます。使えないもの、いわば廃棄すべきものに、永遠にお金を使うほどムダなことはありません。

 

 

 この措置が世の中の雰囲気を変える出来事になればいいのかもしれません。ムダを見過ごしてきたことを咎め、また、愚策であったことを自ら認め、この問題の顛末を顕わにし、再発防止策をルール化できればいいのでしょう。直接的でなくても、間接的に問題は問題とされることが理解されればいいのでしょう。それが第一歩となり、「改善」の始まりになります。「改善」とは、悪いところを改めて、善くすることです。物事が正転を始めることになるかもしれません。

論語の教え

「之を知る者は、之を好む者に如(し)からず。之を好む者は、之を楽しむ者に如からず」と、「雍也第六」20 にあります。

「人間は何事でも、ただこれを知っているだけでは、これに対するに路傍の人を以てするが如き態度となり、首を突っ込んで見ようという迄の気になれないものだ」と栄一は指摘します。

好きこそ物の上手なれ」、人も道を好むようになりさえすれば、自づと道に向って進み、道を実地に行い得られるまでになるものである。しかし、好むというだけではまだまだ至らぬところがあつて、道を行うに当り、苦痛を覚え、中途で少し難しくなってくると、その苦痛に堪え難くなって、中途で行うことを止めてしまう恐れがあるものだともいいます。

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 高い理想を掲げてみたところで、それを真に好きなり、たとえ困難があってもそれを耐え忍んでいかなければ、その理想には到達できないということなのでしょう。

 栄一は、「本心から道を楽む者のみが、如何なる苦痛をも苦痛とせず、如何なる困難をも忍び、敢然として道に進み道を実行してもゆけるのである」といいます。