子曰わく、鳳鳥(ほうちょう)至らず。河(か)図(と)を出ださず。吾已(や)んぬるかな。(「子罕第九」9)
(解説)
「孔子の嘆き。今は吉祥を予告する鳳鳥も至らず、黄河に竜馬が運び来る図も現れない。私はどうしようもない。」(論語 加地伸行)
桑原の解説。
「鳳鳥」とは、美しい羽根をもった空想の霊鳥で、聖王が出現するときにあらわれるという。「図」とは黄河の中から竜馬が背負ってあらわれて、聖王を歓迎するという神秘的な図形だそうだ。
孔子がそうした瑞兆があらわれず、自分の運命もここにきわまったと嘆いたのだという。聖王が出現すれば、孔子はそのもとで、自分の理想を天下に実現することができる。ところが、そのことがないという絶望の言葉である。孔子が鳳鳥や河図の存在をどこまで信じていたか、わからない。しかし、そうしたものを全面否定していたとするのは、行き過ぎであろうという。「道行われず」(「公冶長第五」 7)のヴァリエーションと見てよいという。
この章には色々な説があるようだ。桑原はあくまで、道の行われないことへの絶望を美的に表現したものとよむという。文学者らしい桑原ならの視点なのかもしれない。
(参考文献)