中国恒大集団の債務危機による世界経済への影響が懸念されています。中国恒大が今のままあり続けるということはないのでしょうか。
当局の規制があったにせよ、資金調達が難しくなったからといって、常軌を逸したように、理財商品を乱発、その調達に問題があったのではないでしょうか。
利回り12%、ダイソンの空気清浄器やグッチのバッグまでもらえ、中国随一の不動産開発会社による保証付き、こうした条件に誘われ、8万人もの投資家が中国恒大集団の資産運用商品「理財商品」を購入したといいます。
アングル:グッチのバッグやダイソン家電 中国恒大の理財商品、派手に販促 | ロイター
ロイターによれば、その総額はなんと1000億元を超えているそうです。
こんなことでは当局が目をつけるのも、何となく理解できます。「大き過ぎてつぶせない」と言いますが、救済に二の足を踏むことにつながっているのでしょうか。
論語の教え
「礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ」
と、論語「八佾第三」4 にあります。
「礼を行なうとき本来のありかたとしては、派手にするよりも質素にする」との意味です。
古来、中国では、暴飲暴食は悪徳され、酒池肉林にふける特権者は暴君とされたといいます。
当局による規制強化があったなら、光彩陸離、派手に振舞うよりは質素にすべきだったということでしょうか。
「君子は食に飽くるを求むることなく、居(お)るに安きを求むること無し。事に敏に、言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂う可(べ)きのみ、と「学而第一」14 にあります。
こうした言葉で、奢侈を戒めてきたのかもしれません。
君子 教養人は腹いっぱいの美食を求めたり、豪華で心地よい邸宅に住みたいなどとは思わない。なすべき仕事はすばやくこなす。しかし、言葉は少なくして出しゃばらない。もし意見があれば、まずは優れた人格者を訪れ、正していただくようにする。こういう人こそ好学の士と言うのだ。 (出所:論語 加地伸行)
Wikipediaによれば、贅沢(奢侈)は、 古今東西を問わず、一種の犯罪であると考えられてきたといいます。
論語ばかりでなく、カトリックにおいても、贅沢は「七つの大罪」における傲慢の罪にあたり、享楽的な生活に対する神の怒りが疫病や戦乱を生み出していると考えられてきたそうです。
もっとも時代が進んで社会が豊かになってくると消費生活の統制が困難となり、効果の低い奢侈禁止令がたびたび出されては遵守が徹底されないというジレンマも抱えることとなった。 (出所:Wikipedia)
この時代のことを言っているかのような記述です。
歴史に名を残す名君の多くは改革を断行しては世を救ってきました。その改革では、こうした奢侈禁止令(倹約令)などが用いられる例を数多くありました。それは中国でも、日本でも同じなのかもしれません。格式にこだわり、奢侈に陥っていた名家上杉を救った鷹山もまた質素倹約を旨としました。
質素倹約というと少々堅苦しいですが、華美になり過ぎず、ほどほどが善いということなのかもしれません。
中国恒大集団の騒動は今しばらく続きそうです。世界経済に波及しないように穏便に収束してもらいものです。