「日本は終わったのか?」「どうして日本はダメなんだ」、そんな否定的な議論があるといいます。株価は急伸しましたが、「円安」が定着し、「安いニッポン」というイメージができあがりつつあります。「失われた30年」デフレや低成長を嘆き、その要因に低い生産性があげられたりします。コロナ禍で国のデジタル化の遅れが露呈し、「デジタル敗戦」「IT後進国」などと揶揄されました。こうしたネガティブワードをあげたらきりがありません。
この悲惨な状況を鑑みれば、政府が経済成長戦略を掲げ、生産性の低さを解消するために「DX:デジタルによる変革」を推奨し、国のデジタル化を急ぐために「デジタル行政改革」を謳い、マイナンバーカードを推進しようとするのもわからないことではありません。
ただこうした措置がかえってネガティブイメージを強化しているのではないかと思うこともしばしばあります。世界からの遅れを強調し、強い日本の復活を目指しているようにも見えます。そんな目標をもつ必要性があるのか、もっと違うものを目指す時ではないのかとも感じます。
ネガティブワードで語られているにもかかわらず、いまだ日本の経済規模は世界第三位のままです。日本の鉄道システムの利便性と効率性は抜きん出ていて、時間に正確で他の国を凌駕しているようです。ここ最近、残忍な凶悪事件が立て続けにおきていますが、それでも治安の良さも他の国からは羨ましがられます。
様々な場面で(フランス的な)合理性を欠き、曖昧で、欺瞞が目につく極東の島国は、しかしその実上手く立ち回っているようである。(出所:Forbes)
そんな見方も世界にはあるといいます。世界が変化するスピードには追従できず、鈍重でもありながらも、それなりにうまっくやっているとの意見もあるようです。
これまで良しとしてきたことをいったんやめることができば、価値観が変わるのでしょうし、案外、日本の良さが再認識できたりするのでしょうし、そうすれば目指すものも変わっていくのかもしれません。
論語に学ぶ
子 斉(せい)に在りて、韶を聞くこと三月(さんげつ)、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すの斯(ここ)に至らんとは、と。(「述而第七」13)
孔子が魯の内乱を避けて、当時の大国斉に亡命し、そこの重臣高昭子に仕えていたときのことで、聖王舜が作ったとされる舞踊をともなう交響楽「韶」を聞き、その芸術的感動は、肉体的衝撃といってもよいほど、痛切なまた持続的なものであった。そのため以来三か月の間、食い物の味もわからなくなるほどで、音楽のもつ作用がこれほどまでに大きいとは予期しなかったと述懐したといいます。
芸術的感動を覚えることで、それによって視点も変わり、世の中を違った目で見ることができるのかもしれません。
国によって押しつけられるものをすべて「正」とすることもないのでしょう。国のために働くということにこだわらなくてもいいような気がします。その結果が今の世の中なのでしょうから。
「参考文書」
「日本は終わったのか?」論争にズバリ答えます | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
24時間滞在すれば「日本贔屓」に? 仏人作家が見た 曖昧な国の武器 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)