日々おきる出来事に驚かされます。こんな日々が続くとそれに慣れてしまいしまいそうです。それに抗うにはネガティブな情報の中に希望の芽を見つける努力が欠かせないのかなと思ったりします。どんな状況にあってもより良くしようと正しい方向に努力すればそこから抜け出ることはできるのでしょう。しかし時に、方向性を間違えて深みにはまってしまう、今の日本の状況はそんなところなのでしょうか。
ここ最近の政治の醜さはいうまでもないことです。選挙となれば、SNS上にデマやウソが蔓延するようになりました。兵庫県知事選に続いて名古屋市長選でも同じような現象があったようです。
「デマ、誹謗、妨害に近い」名古屋市長選敗北の大塚氏 圧勝の広沢氏は「減税が一番」 - 産経ニュース
日本保守党が推薦した広沢一郎氏に大敗した自民など与野党相乗り候補の大塚耕平氏は「デマ、誹謗中傷、レッテル貼りの影響も一定程度あった」と敗因を語っていました。記事によれば、兵庫県知事選で斎藤氏を支援したユーチューバーらが、広沢氏支援のため名古屋に転戦、当選した広沢氏にとって、SNSを活用した形となったといいます。
「X」をはじめSNSプラットフォームの多くが、信頼性やセキュリティーを管理するチームを減らし、偽情報を抑制するために実施していたコンテンツモデレーションの努力を縮小し、虚偽の主張はチェックされることなく広がるようになったといいます。
大統領選があった米国においても同様な傾向がみられ、また選挙後に終わってからは左派が右派の手法を模倣し、「選挙不正」などを主張、民主的プロセスへの疑念をあおっているといいます。
米大統領選めぐる虚偽情報、今度は左派系が舞台に トランプ氏勝利後 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
情報戦争は有害性を一段と増しており、それが根付く時間が与えられると、権威主義や偏見を助長する重要な構成要素として機能する。(出所:AFP BB NEWS)
こんな動きが日本に飛び火しないことを祈りたいですが、どうなのでしょうか。もう少し真剣になってもらいたいものです。しかし、政治も行政も手一杯に見えます。もっと効率化、生産性があがればよいのでしょうが、そこにも手が回っていないように見えます。
問題とは
問題を効果的に解決しようとする努力は永遠の課題なのかもしれません。「問題」とは、何かをなしとげたいとか、ある状態を作りだしたいと思って、現状からそこへ到達する道筋がわからない状況のことをいいます。表面的な困った症状を問題と取り違え、真の問題をとらえられていないケースが多いといわれます。問題がなくならないのはこうしたことが理由といわれます。
一方、これを「問題」として学問研究してきた結果、論理学による推論の仕方が明らかにされ、科学の方法論によって、「観察・分析・実験」—「仮説の設定」—「仮説の検証」—「法則の樹立」というパターンが形成されました(参考「IEの基礎」藤田彰久著)。
これを原則とすればどんな問題も解決できるそうなものですが、そうならないのは、このプロセスを軽んじたり、邪な言説を採用したりするからなのでしょうか。ICTやセンシング技術が発展、様々な事象のデータ化が進み、生成AIも登場して仮説精度が向上しそうです。しかし、まだまだ仕事を科学する態度が欠けているのかもしれません。それゆえ、惑わされ、騙されたりするのでしょうか。
歴史を紐解くと、時の経済問題が要因となって政治体制が覆ることがわかるといいます。国民の懐が苦しくなり不満が高まれば政治が一新され秩序が変わることになる。現代においても同様のようで、選挙イヤーといわれる今年の世界各国の選挙で与党が敗北、政権交代となった結果を見ればうなずけます。
意外と知らない、なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」(岩尾 俊兵) | 現代新書 | 講談社(1/4)
国家は国民が共同で作り上げた虚構であり、国家自体は究極の目的にはなりえない。究極の目的になりうるのは「国民一人ひとりの幸せ」のはずである。国家も、政治体制も、政治理念も、人間が作ったもの=人工物である。本来ならば、人間を幸せにしない人工物は捨てられるだけである。(出所:現代新書 | 講談社)
ここ最近の選挙の混乱からして、日本でもいよいよ国民の不満がピークに近づきつつあるのでしょうか。重い国民負担を改善し、なおかつ経済を安定させることができればいいのでしょうが、今の政治のままではどうにもならないような気もします。
財務省への批判がXで急増、リプライは衆院選後15倍以上に 殺到の批判コメントを可視化 - 産経ニュース
さかんに議論されている「年収の壁」問題からしてそう見えてしまいます。歴史に学ぶ姿勢もないのでしょうし、科学的なアプローチもなさそうです。公平・公正さを欠く利権調整が問題解決の阻害要因になっていることはないのでしょうか。
論語に学ぶ
哀公(あいこう)問えらく、弟子(ていし)孰(たれ)を学を好むと為す、と。孔子対(こえて)曰わく、顔回なる者あり。学を好めり。怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなり、と。(「雍也第六」3)
哀公が孔子に「弟子の中で、誰が学問好きですか」と質問しました。孔子は「顔回という者がそれにあたりましょう、学問好きで、怒りにかられることはなく、八つ当たりなどもせず、また同じ過ちを繰り返すこともありませんでした。しかし、不幸にして早く世を去りました。今はもうこの世におりません。学問好きといわれる者がいるということを耳にすることはありません」と孔子は答えました。
顔回は、正当な理由があれば怒りはするが過度にならず、またその方向づけを誤らなかったそうです。不正に怒る情念がなくては、正義を守ることはできない。ただその怒りはいかに正当、強烈であっても、理性のコントロールの下になければならない。顔回はそれがよくできていたようです。そのベースには人間を愛する情があってのことといわれます。
政治の混乱、低空飛行を続ける企業活動、この国の実態からして今のリーダー、あるいは権力者にはこうした素養はなさそうです。今のリーダーたちが気づきを得て、変わることができればよいのでしょうが、それを期待しても無駄なように思えたりします。しかし、今ここが踏ん張り時なのかもしれません。失敗続きで国力は低下し、社会は相当に傷んでいます。こんなときなのですから自助が求められるのはわかります。しかし、それしか手がないのは残念なような気もします。それでも自分自身を磨くことが己を助けになるのでしょうか。
「参考文書」
インフレの日本はいずれ「トルコ」のようになる…エミン・ユルマズ氏が懸念する「共通点」の中身(永濱 利廣,エミン・ユルマズ) | +αオンライン | 講談社(1/2)