「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

募る不満、改まらない首相の言行不一致、「異次元のはぐらかし」との声も

 

 良い時もあれば悪い時もある。そして再び良い時がやって来る。こんな繰り返しで、進歩があるものです。社会が一定であることはなく、常に変化しているのだから、それに合わせて上手に変化できない、そんな時期を悪い時というのでしょう。こうした時間が長く続けば、気持ちがふさぎ込んでいくばかりです。

 日本周辺が物騒になったり、経済環境が悪化したりするのも、周りで生じる変化に巻き込まれるばかりで、その変化に合わせて対応することを怠ったことによって生じるのでしょう。その変化に対抗しようとするのなら、それ以上の優れた統治能力とそれを支える智慧がなければ対抗できようもありません。そうした資質のない人が治める国が衰退することは歴史において何度も繰り返されてきました。

 

 

 通常国会が各党の代表質問で始まりましたが、相変わらず首相の答弁は質問と噛み合わず、自らの言葉に反しているところを批判されているといいます。

岸田首相「正々堂々」に疑問符 防衛・原発、正面から答えず:時事ドットコム

岸田文雄首相は施政方針演説で「国会の場で正々堂々議論する」と宣言したが、質問とかみ合わない答弁も目立ち、野党からは「『正々堂々』と真逆だ」(立憲民主党泉健太代表)と批判が上がった。(出所:JIJI.com)

「政権の決定を踏まえ、与野党と活発な国会論戦を行い、それによって国民への丁寧な説明も行う」と述べる首相の答弁は、丁寧さを欠き、論戦すらになっていないということでしょうか。

 こうした言行不一致も、自覚のなさからなのでしょうか。これでは統治能力に疑問符が付いてもおかしくないのでしょう。

「政治の大部分は管理的・技術的になり、政治が大きな道徳的問題や正義の問題に直接的に真剣に取り組まない傾向がある」とは、政治哲学者のマイケル・サンデル教授の言葉、「世論は政治に不満を抱き、選挙民はより大きな意味と目的を持つ公共的な生活を渇望している」といいます。

 国民に便益を提供するのも国の役割ではないでしょうか。そうした本質的な議論にならずにして、手続き論など管理的な話題で紛糾するようであれば、それは無益で終わりかねないのでしょう。

 

 

論語に学ぶ

苟(まこと)に仁に志さば、悪無きなり。(「里仁第四」4)

  江戸期の儒学者伊藤仁斎によれば、「仁に志せば心もちはゆったりとして人を慈しむことになるから、おのずと人から悪まれることがなくなる、世間は公平によく見ている」と意味するそうです。

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 また、この言葉には「ひたすらに仁を志すならば、けっして悪を行なうことはない」との意味もあるといいます。

 逆説的に言えば、人々が政治に不満を抱くのは、国民を慈しむこともなく、また、政治家の態度が「仁」から離れ、その志が別のところにあるように見えてしまうからなのでしょう。  

 世界はより複雑化し、ますます難しい時代になっています。そんな時代を生き抜いていかなければなりません。「仁」を育くむことが求められていそうです。