「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

止まらなくなった物価高騰、「地雷」に喩えられる金融政策

 

 東京23区の11月の消費者物価指数が発表されたそうです。前年同月と比較し3.6%の上昇になったといいます。

東京の11月の消費者物価指数 3.6%上昇 40年7か月ぶりの高水準 | NHK | 物価高騰

 物価上昇の主な要因は、食料品の値上げが続いていることによるそうで、「生鮮食品を除く食料」は6.7%上昇しているといいます。

 東京23区の指数は、全国の指数に先立って公表されるため先行指標として注目されているそうです。

 

 

 政府・日銀に物価を抑制しようとする明確な対策がないのですから、こうなるのも自然なことなのでしょう。そうなれば、気になるのは企業による賃上げ、物価上昇を上回る賃上げは期待できるのでしょうか。

政治家にとって地雷となった金融政策

アベノミクス導入当時、日銀による大胆な緩和を演出してデフレ脱却を目指す姿をアピールすることは、政治的に得点を稼げる「得点源」だったが、経済の環境が変わり、岸田政権にとって金融政策はもはやそうした得点源にはなりえない。(出所:ロイター)

 異次元緩和からの出口の難しさを考えると、政治家にとって日銀の金融政策はあまり関与すべきでない「地雷」になってしまったと、元日銀理事の門間一夫氏がロイターのインタビューで指摘し、「日銀は政権浮揚のための『宝の山』ではなく『地雷』」と語っています。

インタビュー:次期総裁、「異次元」から「普通」の緩和への転換が課題=門間元日銀理事 | ロイター

 また、黒田総裁後の日銀では、YCC(イールドカーブ・コントロール)やマイナス金利などの「異次元の金融緩和」から「普通の金融緩和」への枠組み転換が課題になると述べています。ただ、早期の政策転換は難しく、早くても24年になるのはないかといいます。理由は米欧における経済減速の懸念によるといいます。

 

 

 当初は驚ろかせることで効果があったことも、長く続ければ弊害が現れるようです。「地域金融機関を中心に余剰資金を運用するのが非常に難しくなり、外債投資などリスクの高い資産にシフトしている」と、YCCの弊害が指摘されています。

 問題は好ましからぬ行為の後に生じるものです。常に状況を監視し、適宜、対策していれば問題は適正な管理下にあるということなのでしょうが、人気取りのために利用されていたのだから、こうなったのもまた自然な流れなのでしょうか。

 結果として、政策の硬直性を生み、身動きが取れずに顕在化する物価高騰に国民が苦しむのに、外部の情勢待ちとは悲しい現実です。それでも状況を改善しようとすれば、問題が予測し、適正な管理下におければいいのでしょうが、ついつい失敗を恐れて尻込みしたくなるのが政治家なのでしょうか。

 霊感商法による被害者救済法案も被害者を犠牲にしたままで、法規制を強化したとして、ことを丸く収めようとする政府ですから、どれもこれも中途半端のままで、状況が改善されることはないのでしょう。

 防衛費増額もその最る例なのでしょう。それらしく聞こえる自分たちのための大義名分を掲げ、国民を苦しめるのですから改悪としか言いようがありません。

 

 

論語に学ぶ

先進の礼楽に於けるは、野人なり。後進の礼楽に於けるは、君子なり。如(も)し之を用いなば、則ち吾は先進に従わん。(「先進第十一」1)

 時が移ろえば、本質が華やいでいくことは自然なことで、孔子もこうした「整美」(整え、美化する)していくことを否定したわけではなく、その上で、初心とともに「質朴」、「純朴」さを忘れないと言いたかったのではないかといわれます。

dsupplying.hatenadiary.jp

 この章における「先進」は先輩を、また「後進」は後輩を意味します。

「先進」周王朝が成立直後は、「野人」まだ礼楽(マナーや文化)は未完成で質朴であったが、時間経過とともに、「後進」現在になると、「君子」のように完成に近づいたかのように、マナーも文化も華美になっていく.....。マナーと文化が不釣り合いな華美では単なる派手となり、それが奢りとなり、奢侈になっていく、それを嫌ったのでしょうか。そんな中から不正が生まれ蔓延っていくことを恐れたのでしょうか。

 今の日本はそんなところでしょうか。分不相応に防衛力を保持しようとか、実力以上の経済や成長を夢見て、ただそれを急ごうとするからよくないのかもしれません。

 急がず、実力の回復に努める、今何を為すべきをよくよく考えてみるのがいいのかもしれません。V字回復がもてはやされますが、あせらずに、規模を追わず、理想に近づくようにマナーや文化を育ていくことが肝要なのかもしれません。

 

 

「参考文書」

『大衆の反逆』から何を学ぶべきか | 日経BOOKプラス