「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

あさりの産地偽装は根絶できるか、なぜ人は自分の能力を不正に利用するのか

 

 繰り返される産地偽装、あさりの産地偽装問題が発覚した。とんでもない量のあさりの産地が偽って出荷されている。守るべきことを悪用し、自分だけのことを考え、他者、消費者への信頼を裏切る。こうしたことが蔓延していないかと危惧を覚える。

 アサリの産地偽装をしていた福岡県の水産卸会社社長が、「『外国産だと売れない』という業界の固定観念があった」と話しているように、産地偽装が長年続いてきた背景には、日本人の中国産食品に対する根強いアレルギーがあることが考えられる。(出所:日刊ゲンダイDISITAL)

 過去にあった問題から、中国産への不信はまだ残っているのだろう。多くの食品会社が国産を強調すればするほどに外国産品から手が遠退くのかもしれない。

 

 

 多くの食品を外国に頼っていることは今も昔も変わらないのだろう。流通がしなければならないことは、産地偽装ではなく、その食品の安全性を保証し、それを広報していくことなのだろう。地味で時間がかかる作業だ。しかし、それを誰かがやらなければ、何も変わらない。そんなことに時間をかけるより、日々の売り上げのことの方が気がかりなのかもしれない。数字だけをみて、あせりが生じれば、安易な方法にいってしまうのだろうか。

論語の教え

君子は徳を懐(おも)い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵みを懐う。(「里仁第四」11)

「君子は善く生きたいと願うが、小人は安泰を願う。君子は責任を取る覚悟するが、小人はなんとか逃れたいと思う」との意味する。

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 君子、小人は別として、今の社会を表しているような孔子の言葉に聞こえる。

 正しくないことに自分の能力を使い、そこで得られるものに価値はあるのだろうか。そこに後ろめたさはないのだろうか。そんな思いをするくらいなら、はじめから正しいことに能力を使えば、その価値のほうが遥かに大きい。

 しかし、不思議に孔子が生きた古代から、人は良からぬことのほうに精を出す性分のようである。それで一時的な功名はあるのかもしれないが、それで大成した事例などないはずである。それよりは良からぬことをしたために、財や名誉など人生のすべてを失った人の例などいくつでもあるものだ。

 

 

「君子の天下に於けるや、適も無く、莫もなし。義 之と与(とも)に比す」(「里仁第四」10)とある。

「君子の世におけるあり方は、一方的な肯定もなければ、一方的な否定もない。ただ筋の通ったこと、「義」に従うまでのこと」を意味する。

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 今回のあさりの産地偽装においても、偽装を行った業者が摘発され、厳罰に処され、再発防止策が講じられれば、いいのだろう。ただ、こうしたことだけで産地偽装を根絶することはできるのだろうか。あさりの産地偽装はなくなるのだろうか。

 ルールや規制を強化したところで、大切なことを忘れていれば、その抜け穴を探す輩が減ることはないのだろう。

 

「参考文書」

熊本産アサリ「産地偽装」の背景に根強い“中国産アレルギー” 安全性改善にはほど遠く(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース