子、衛の霊公(れいこう)の無道を言う。康子(こうし)曰わく、夫(そ)れ是(かく)の如くんば、奚(なん)ぞ喪(うしな)わざる、と。孔子曰わく、仲叔圉(ちゅうしゅくぎょ)は賓客を治め、祝鮀(しゅくだ)は宗廟(そうびょう)を治め、王孫賈(おうそんか)は軍旅を治む。夫れ是の如し。奚ぞ其れ喪わん、と。(「憲問第十四」19)
(解説)
孔子が衛国の君主霊公が無道であると非難した。すると季康子が、「そのようであるのに、どうして、国君の地位を失わないのだ」と尋ねた。孔子はこう答えた。「仲叔圉が外国使節に応対し、祝鮀が国家祭祀を司り、王孫賈が軍隊を掌握しております。そうでありますかぎり、国君の地位は揺るぎませぬ」と。(論語 加地伸行)
「霊公」、衛の国の君主。夫人である南子を寵愛し、喜ばせるために、以前から彼女の愛人だった宋朝を重臣として迎えたという。国が乱れるのも当然なのかもしれない。
孔子はその霊公に仕えたことがあるという。
「仲叔圉」、孔文子のこと。
「祝鮀」、祝は「はふり」つまり宋廟の神官の意味、鮀が名であるという。
衛の霊公に仕え、ある国際会議で席次争いのとき、雄弁をふるって勝利し名をあげたと桑原はいう。
「王孫賈」、衛国の権臣。
「八佾第三」13で、 王孫賈が、孔子に、位が高いだけで実力のない君主(奥)よりも、実権者である自分(竈)に近づく方が現実的ではないかと誘いをかけていた。
それなりの賢臣がおれば、とりあえず国は治るということであろうか。
「関連文書」
(参考文献)