子張(しちょう) 明(めい)を問う。子曰わく、浸潤(しんじゅん)の譖(しん)、膚受(ふじゅ)の愬(そ)、行なわれざる、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざる、遠と謂う可きのみ、と。(「顔淵第十二」6)
(解説)
子張が明(明智)とは何でしょうかと質問した。孔子はこう答えた。「水がしみこむように伝える非難、皮膚に感じられるように伝える訴えがあっても、その嘘を見破る。それを明智ということができる。同じくその嘘を退ける。それを遠識ということができる」と。(論語 加地伸行)
「譖」とはそしること。
「愬」とは訴えること。
「遠」とは遠識、優れた見識。
「子張」、姓は顓孫、名は師、字名が子張。陳の人で、孔子晩年の弟子。もっと若く秀才といわれる。「礼」の専門家。
子夏と議論したとき、子夏の激しい調子を批判し、孔子のゆったりと相手の意見を聞く態度を学んでいないといい、さらに、小人の議論は、自分の意見だけが正しいと言い張り、目を怒らせ、腕をむき出しにし、早口で口から涎(よだれ)がたれ、目が赤くなり、勝を得ると喜びまわる等々と言ったという。
「史記」に、「師や僻なり」とあるように、時として正統を離れる異説を好んだようであると、「子張」を桑原はそういう人物であったとみる。
(参考文献)