司馬牛(しばぎゅう)、憂えて曰わく、人皆兄弟あり、我独(ひと)り亡し、と。商 之を聞けり。死生(しせい)は命(めい)有り、富貴(ふうき)は天に在り、と。君子敬して失うこと無く、人と恭々(うやうや)しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟為(た)り。君子何ぞ兄弟無きを患(うれ)えん、と。(「顔淵第十二」5)
(解説)
司馬牛落ち込んで言った、「世の中の人には、みな兄弟がいるのに、私にはいない」と。子夏がこう慰めた。「私はこう学んだ。死ぬも生きるも、運命があり、財産も地位も天命のままだ、と。君子 教養人たる者、自重して失礼がなく、他者に対しては謙遜して礼儀を重んじているならば、世の中の人々がみな自分の兄弟のようなものになる。実の兄弟がないからといって、どうして落ち込むのだ」と。(論語 加地伸行)
「司馬牛」、姓は司馬、名は耕、字名が子牛。孔子の弟子の一人。宋国の人で、実兄の司馬桓魋(向魋:しょうたい)が、主君を殺そうと謀叛を企てたとき、長兄の向巣(しょうそう)とともに桓魋を攻めた。しかし、戦いに敗れて、斉国、呉国に亡命し、その後、魯国に来たといわれる。
桓魋は「述而第七」22に登場し、孔子も殺害しようとした。
「子夏」、姓は卜(ぼく)、名は商。字名が子夏。孔子より44歳若く、孔子学団の年少グループ中の有力者。文学にすぐれた、つまり最高の文献学者だったという。孔子晩年の弟子。
孔子が外出しようとしたとき、雨が降ったが、傘がなかった。弟子が「子夏がもっていますよ」というと、孔子は「あれはケチだからなあ」と答えたという。続けて「人の長所を言い、短所を忘れることによって、長くつきあいができるのだ」と言ったと、加地は「孔子家語」の一節を紹介する。
(参考文献)