柴(さい)や愚、参(しん)や魯(ろ)、師や辟(へき)、由(ゆう)や喭(がん)。
子曰わく、回(かい)や其れ庶(ちか)きか。屢(つね)空(むな)し。賜(し)や命を受けずして貨殖(かしょく)す。億(はか)れば則ち屢に中(あ)たる、と。(「先進第十一」18)
(解説)
柴君は愚直、参君は重厚、師君は習熟。由(子路)君は強気と言い、孔子はこう続けた。「回(顔淵)君こそ、私のありかたに近いぞ、毎(つね)に心空しの状態となる。賜(子貢)君は天命を待ち受けず、自力で財産を増やす。考えて発言するが、いつも正確である」と。」(論語 加地伸行)
「柴」は高柴のことで、「愚」、これ一筋とする気持ち。
「参」は曾参のことで、「魯」地味だがよく心得ている態度。
「師」は子張のことで、「辟」華麗で熟達している態度。
「子張第十九」15で、「及び難い優れた人材だとは思うが、仁には至っていない」と子游に言われる。
「由」は子路のことで、「喭」自信があって剛情なありかた。
顔回の「空」以外、弟子たちは性格としてそれぞれの持ち味を特徴としつつ、内実として何かを有している。それと虚心「空」との対比を表していると解すると加地は解説する。
「賜」は子貢のことで、「貨殖」は財貨を殖やすこと。「億」は判断すること。
子貢、本名を端木賜(たんぼくし)といい、孔子より32歳年少。孔門十哲の一人。「言語に宰我(さいが)、子貢」(「先進第十一」3)と言われるように、弁舌にすぐれた秀才で、利殖の道にもたけて孔門第一の金持になったという。
(参考文献)