「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【之を沽らんか、之を沽らんか。我は賈を待つ者なり】 Vol.219

 

 子貢曰わく、斯(ここ)に美玉有らば、匱(とく)に韜(つつ)みて諸(これ)を蔵(おさ)めんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸を沽(う)らんか、と。子曰わく、之を沽らんか、之を沽らんか。我は賈(こ)を待つ者なり、と。(「子罕第九」13)

 

「匱」は箱、「賈」は店を持っている商人。

 

  (解説)

「子貢がおたずねした。「ここに美しい玉があるとしましょう、それを箱に入れて倉庫にしまっておきましょうか、それとも、善い買い手を求めて売りましょうか」と。孔子はこうお答えなさった。「売ろう、売ろう。私は買い手を待っている」と。」論語 加地伸行

 

 

  

桑原の解説

 隠遁している孔子にむかって、子貢が先生ほどの才能を抱きながら、これを現実に用いないのは、宝の持ちぐされではないか、と出仕をすすめる意をもってたとえ話を切り出したのである。

 「斯に」というのは、必ずしもこの場所にということではなく、ただ場所設定の語感によって「有り」とあいまって仮設の現実感を出そうとするのである。ここに美しい玉があるとしましょう。箱の中に入れてしまいこんでおいたものでしょうか。それともよい買い手をみつけて、売ったものでしょうか。

 「賈」は商人を意味する。ここでは買い手と訳しておく。徂徠は仲買人ととるが、そうすると誰か仲介者がいて、孔子をどこかの君主に推薦するような語感になる。しかしここは、玉の目利きのできる、つまり孔子の人格と才能をよく認識して採用してくれる君主という意味にとったほうが素直である。

 「賈」はカともよみ、そのさいは価格となるが、そのよみは少し卑しすぎるであろう。

 

 

 

 そう聞かれたのにたいして孔子は、売りますとも、売りますとも、私は買い手を待っているのだ、と答えた。自分の学問は決してわが一身のためのものではない。

 安民すなわち人民に奉仕するのが目的である。良い仕官の道があれば、喜んで出て経綸を行ないたい、というのである。待つという字に力点をかけて、こちらから呼び売り、投げ売りをしようというのではなく、店先にじっと坐っていて、よい買い手のくるのを待っている、というふうによむこともできるが、桑原はむしろ待つを期待すると抽象的によんで、二度繰り返される「沽らん哉」という言葉のうちに孔子の仕官への熱意と、その底におそらくかすかにひそむ老齢にたっした孔子の一種のあせりとをみたいと指摘する。 

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 子貢はどんな意図でこの質問をしたのだろうか。商才に長けた子貢が、「美玉」であればもっと売り込めるはずであると考えても不思議ではないような気がする。「美玉」とは孔子自身のこと。「善賈(ぜんこ)」とはすぐれた君主にとの意味。この他にも「善価(ぜんか)」高位高禄という読みもあると加地は解説する。

 子貢は、ただ待つのではなく、孔子が自身の教えを実践するには自ら仕官を求めてはどうかと勧めたのかもしれない。もしかしたら、子貢自身で孔子をもっと売り込みたい、売り込めば「善価」を得られる、それによって学団の経営も安定すると考えていても不思議ではないような気もする。そう考えるのは考え過ぎだろうか。 

 

 

「子貢」、姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人と言われる。孔子より32歳年少。「言語には宰我、子貢」(「先進第十一」3)といわれるように、弁舌にすぐれた秀才といわれる。

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そればかりでなく、利殖の道にもたけ、孔門第一の金持になったという(「先進第十一」18)。

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫