「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

危機感を募らせる商社、「買い負け」、ままならない食糧確保

 

 日本の商社が食糧の買い付けにおいて、他国に「買い負ける」ことを危惧しているといいます。かつては日本より高値で買う国はなかったそうですが、2019年頃から風向きが変わりつつあるといいます。

鶏肉「中国はもっと高く買ってくれる」…買い負ける日本[世界秩序の行方]第1部 攻防経済<4> : 読売新聞オンライン

 記事は、ブラジル サンパウロでに拠点を置き、鶏肉確保に動く日系商社の担当者の声を紹介しています。高値で取引する中国の影響で、値上げを要求されることが多くなり、実際に『中国に売ることにした』と乗り換えられたケースもあるそうです。

 

 

日本は長くデフレが続き、国民の購買力が相対的に低下した。小売価格への転嫁は敬遠され、調達時に高値を打ち出すことは容易ではない。海外で買い付ける力が落ちているのだ。(出所:読売新聞)

『買い負ける』時代は、すぐそこかもしれない、商社担当者が危機感を募らせているといいます。

かつての商社は

商社の仕事は口銭だけではだめ。スペキュレイション(投機)も含め、新しく創り出すものが加わって、はじめて大きな稼ぎができる。(引用:「粗にして野だが卑ではない」城山三郎

  大正末期に三井物産の大連支店長を務めた石田禮助の信条だったとか。当時品質のよい満州産大豆をデンマークに抑えられ、それに加え強力なサプライチェーンが既に築かれていて、それに対抗する手段を考えなければならない状況にあったそうです。

 石田は無謀にも思える青田買いに出ますが、それに堪えうるシステムを同時に作ったといいます。これで大豆商いを大きく伸ばし、やがて満州産大豆の60%を扱うようになったといいます。他の商社がバタバタと倒れる中、三井だけが損しなかったそうです。石田は商売に勝つという気力に溢れていたといいます。

 大正期、世界の海を抑えていたのがやはり日本の商社の「鈴木商店」。番頭役を務めていた金子直吉は「内地の商売は、日本人同士の内輪で金が動くだけ。何より外国人から金をとらなくちゃいかん」と言っていたそうです。

 この時期は外貨稼ぎに躍起になって時代だったのでしょうか。時代時代の課題を反映したものなのかもしれません。

 

 

論語に学ぶ

柴(さい)や愚、参(しん)や魯(ろ)、師や辟(へき)、由(ゆう)や喭(がん)。子曰わく、回(かい)や其れ庶(ちか)きか。屢(つね)空(むな)し。賜(し)や命を受けずして貨殖(かしょく)す。億(はか)れば則ち屢に中(あ)たる、と。(「先進第十一」18)

 孔子が弟子たちの性格をそれぞれに、「柴君は愚直、参君は重厚、師君は習熟。由(子路)君は強気」と評し、続いて「回(顔淵)君こそ、私のありかたに近いぞ、毎(つね)に心空しの状態となる。賜(子貢)君は天命を待ち受けず、自力で財産を増やす。考えて発言するが、いつも正確である」と言ったそうです。

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 孔子の弟子たちは「学び」を通してそれぞれに人格を形成し、それを活かして、完璧ではないにしても社会に貢献していったのでしょう。

 その中にあって、子貢は自ら貨殖することができたといいます。また、その判断はいつも的確だったそうです。

 

 

 その子貢と孔子が、「切磋琢磨」について論じる章があります。その中で、孔子は、どんなに貧しくとも人間の生き方を考えたり、豊かになっても世の道理を求めようとする者になるべきであると諭し、これを受けて子貢は、詩にある「切磋琢磨」を持ち出したそうです。すると、孔子は子貢に「君は話を聞くだけで、その先を見る力がある」と言ったといいます。

「切磋琢磨」とは、石や玉などを磨くように学問、技芸、人間性などを磨き上げることをいい、たゆまぬ努力により自己の力量、素質などを磨き上げることのたとえといいます。また、互いに競い合い、励ましあって向上することとの意味もあります。

 子貢が商売上手であった本質がここにあるのでしょうか。

 かつての人々もまた子貢同様に、「学び」を通して時代を読み力を養い、その活かし方を知ったのかもしれません。現代に生きる私たちにも求められることなのでしょう。