子曰わく、回や其の心 三月 仁に違わず。其の余は、則ち日月に至るのみ。(「雍也第六」7)
(解説)
「孔子の評価。顔回は常に人間として立派な状態が続いている。その他の弟子諸君は、一日とか、一か月とかいうくらいのものぞ。」(論語 加地伸行)
桑原は、この章には多くの読みがあるという。
まず語義を見ると、「回也」を顔回に対する批評ととって、加地のように「回や」と読むか、呼びかけとみて「回よ」と読むかによって解釈が二つに分れるという。
「其余」は、顔回以外の孔門の弟子たちととるのが通説だが、仁斎は「文学政事の類い」と解し、徂徠は仁以外の「衆徳」と読む。
桑原は通説で読むと、いかに顔回が優秀だとしても、他の弟子たちを蔑視しすぎたことになり、それでは奨励にもなるまいし、また大教育家の孔子がそこまで弟子たちを激発させることはありえないように思われるという。
仁斎のように、顔回は三月の間、仁に違わないほど人だから、文学政事などのことは短日月で達成できる、と孔子が批評したと解することもできる。また、徂徠に従って、孔子が顔回に語りかけて、諸徳の根源である仁の境地に三月もとどまり得たならば、その他の諸徳の達成は日々に月々に実現されるだろう、と言ったのだと読むこともできると桑原はいう。
「回」とは、顔淵のこと。姓は顔、名が回、字名が子淵。魯の国のひと。孔門十哲の一人、孔子最愛の弟子とされる。好学の士。
孔子より30歳年少で、孔子61歳のとき、32歳で亡くなったという。これが通説だが、孔子71歳のとき、41歳で死んだという説もあるという。加地は29歳で亡くなった説を採用し、すべて白髪だったという。
色々な読みができるのも「論語」の楽しみかもしれない。あえて正解を求めずに、それぞれの読みに従うのも良いのではと思う。その方が、日々で応用できる範囲が広がるかもしれない。
(参考文献)