「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

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慟哭 【顔淵死す。子 之を哭して慟す】 Vol.266

 

顔淵死す。子 之を哭(こく)して慟(どう)す。従者曰わく、子 慟せり、と。夫の人の為に慟するに非(あら)ずして、誰が為にせん、と(先進第十一 十)

 

  (解説)

「顔淵が亡くなった。弔問に行った孔子は、声をあげて泣いたのみならず、身体を揺り動かして気絶せんばかりに哀しんだ。付き添っていた弟子がいった。「先生は哀しみ過ぎられ、身もだえしておられました」と。すると孔子はこう言った。「あの人のために慟(哭)しないで、どの人に対して慟(哭)しようぞ」、と。論語 加地伸行

  

 小声で目から涙がこぼれて哀しむのを「泣」、涙はなく声だけを大きくあげて哀しむのを「哭」、身体を震わせ揺るがせ喪心状態で哀しむのを「慟」というと加地は解説する。哀しいときに人が表す状態で、哭は礼であるが、慟はその哀しみの度を越えたものとなる。

 擗踊(へきよう)という礼では、哭泣のほかに、手で胸を打つ擗、足で大地を踏んだり引きずったりして哀しみを表す踊がある。見悶えであるという。

 「慟哭」とは、実用日本語表現辞典では、「悲しみに耐えきれず声をあげて泣くこと。「慟」は身体を上下に動かして悲しむこと、「哭」は声をあげて泣くことを意味し、特に悲しみの感情が大きいときに使われる」と解説する。ちなみに、「泣く」は悲しみ以外に喜びを表現する際にも使われるという。

 

 顔淵、官界への思いを絶って清貧に甘んじて学問に専心していたと言われる。孔子はその純粋な姿を見ると一種気おされるような、ひけめを感じ、それが「鍾愛」の気持ちをさらに強化したのかもしれないと桑原はいう。

 

 「鍾愛」とは、「深く愛すること」、「深くかわいがること」を意味するという。類語に「寵愛」がある。「寵愛」は妃などをかわいがるなどに使われることが多いのに対し、「鍾愛」は、「鍾愛の孫姫」というように、自分の子や孫に使う例が多いと、WORD WISE WEBはいう。

 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

 

 

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫