「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

【魯に君子者無くんば、斯れ焉んぞ斯をとらん】 Vol.98 福原愛ちゃんが紡いだもの

 

 子、子賤を謂う。君子なるかな、若(かく)のごとき人。魯に君子者無くんば、斯れ焉(いずくんぞ斯をとらん、と。(「公冶長第五」3)

  

(解説)

孔子の子賤についての評価。「君子と言っていい、このような人物は。もし魯国に君子と言える人物がいなければ、彼がどうして人格を磨きえようか」と。」論語 加地伸行

 

「子賤」、姓は宓、名は不斉、字名が子賤。孔子より49歳年少の弟子であったとされる。魯国の単父(たんほ)という地の宰となり善政を布いたという。孔子の兄の子孔蔑(こうべつ)と一緒に魯に仕えたとそうだ。 

 

 魯に君子者無くんば、斯れ焉んぞ斯をとらん

「魯の国に君子無し、などというものがあるが、もしそうなら、この子賤はそもそもどこからこの君子性を学びとったのだろうか」

   桑原は、「子賤の徳をほめただけでなく、むしろ仁斎の指摘のように、人間的接触による感化の深さ、その重要性を説いたのであろう」という。

 「人間は生まれつきの素質に縛られる。しかし、それだけに終わるとすればペシミスティックな決定論となるほかはない。孔子は素質の重要性を認識しつつも、人間は愛情をもって助けあうことによって、素質の上に出ることができるというオプティミズムを捨てなかった。すなわち仁の精神である」と解説し、「なお私にはこの発言の中に孔子愛郷心がほのみえるように感じられる」という。

 

論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

 

  東京オリンピックを前に、女子卓球の代表争いが熾烈さを増す。石川佳純伊藤美誠平野美宇早田ひな など数多くの選手が世界ランキングの上位に顔をそろえる。

 東京オリンピックの代表枠は2つ。伊藤美誠石川佳純平野美宇らが代表を争う。伊藤美誠が一歩リードし、最後の一枠を石川と平野が争う。層が厚くなった女子卓球。

 福原愛ちゃんが登場するまでは、卓球のイメージはあまりよくなかった。幼い愛ちゃんが健気に練習し、活躍する姿に皆が目を細め応援した。愛ちゃんの活躍が卓球のイメージを徐々に変え、愛ちゃんに続けてと多くの子どもたちが卓球を始める。

 ロンドン五輪は銀メダル、リオ五輪は銅。この2大会に出場していたのは愛ちゃんと石川佳純さん。そして、次の世代の伊藤美誠リオ五輪に登場した。 

 愛ちゃんなくして、女子卓球の今日はない。

 昨日の試合では、石川佳純さんが平野美宇さんを破り、代表レースで一歩リード。熱い戦いが続きそうだ。

 

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(参考文献)  

www.nikkei.com

www.tv-tokyo.co.jp

www.huffingtonpost.jp

www.nikkei.com

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  

 

【子、南容を謂う。其の兄の子を以て、之に妻わす】 Vol.97

 

 子、南容を謂う。邦に道有るとき、廃せられず。邦に道無きときも、刑戮(けいりく)に免(まぬか)る、と。其の兄の子を以て、之に妻(めあ)わす。(「公冶長第五」2)

  

(解説)

孔子は南容についてこうおっしゃられた。国政が安定しているとき、責任ある仕事についており、国政が乱れているとき、責任を問われ罪を得るようなことはなかった。兄の子を南容に嫁がせた。」論語 加地伸行

 

「南容」、姓は南宮、名は括、字名が子容。孔子の門弟の一人と言われる。

 桑原は、「文明諸国でも最近まで、未開地域では現在もなお、そうであるように、女子の配偶者に選択において自由意志を認められず、もっぱら父兄の意志によってめあわされた。それだけに父兄たるものは慎重な考慮を要請されたわけだが、孔子は前章とこの章とにおいて、二つの婿えらびをしている。いずれもおそらく適切な処置であったのだろうが、外面的に見ればまったく対立した選択のようにみえ、そこに面白さがある」と解説する。

 桑原は仁斎とともに、孔子が自分の人物鑑識眼に自信をもっていて、それぞれの人物に対して適切な対応をした、その自由思考の無限といってよい幅の広さに感服するだけだという。

 孔子は、肉親を嫁がすべき人物像を前章と合わせて、明らかにしようとしたのだろうか。卓越した才能の持ち主というよりは、文章からは、公冶長、南容とも実直な性格のようにとれる。

 

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 南容は「憲問第十四」5にも登場する。

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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【子公冶長を謂う。妻わす可きなり】 Vol.96

 

 子 公冶長(こうやよう)を謂う。妻(めあ)わす可(べ)きなり。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖(いえど)も、其の罪に非(あら)ざるなり、と。其の子を以て之に妻わす。(「公冶長第五」1)

  

(解説)

孔子は公冶長についてこうおっしゃられた。私の娘と結婚させてよい。彼がかつて牢屋に捕らわれていたことがあっても、それは冤罪であったと。そして、御自分の娘を嫁がせたのである。」論語 加地伸行

 

「公冶長」、孔子の弟子であるというが、その事跡は何もわかっていないという。ただ彼が鳥の言葉を聞きわけることができ、そのために行方不明になっていた幼児の屍体のあり場所を知り、それを家人に話したことから殺人犯の疑いをうけ入獄したという伝説があるという。これは皇侃の説だという。

 一方、加地は別説を紹介する。皇侃の説と同じように鳥の言葉を理解でき、貧しくて食べるものがなかったとき、雀が公冶長にこう話しかけた。南山に虎が羊を運んでいるぞ。お前は肉を、俺は腸(はらわた)を食おう、早くいけと、そこで行ってみると、虎の食い残しであろう、本当に羊がいたので食べることができた。その関わりで、羊を亡なった家を訪ねてたどり着いたところ、羊の角があったので、偸(ぬす)んだ。これを訴えられて、魯君は公冶長を捕えて獄舎に入れた。ところが、雀がまた来て、隣国の斉国が軍を出して沂水まで来ているぞと公冶長に教えた。驚いた公冶長が獄吏にそれを告げた。これが魯君に伝わり、早速調べてみるとそのとおりであったので、魯軍が急襲して大勝した。そこで魯君は公冶長を釈放し、大夫の位を与えようとしたが公冶長は固辞したという。

 加地はこれは伝説にすぎず、公冶長の罪が何であったかわからないという。孔子が罪を否定しているところから推測すると、冤罪であった可能性がたかいという。

 

 公冶長は論語の中でこの章にしか登場しないことを理由に桑原は、彼が門下生の中で優秀ではないし著名でもないとみる。普通にみれば前科者である彼に、自分の娘をやろうというのは、ずいぶん風変わりな行動とせねばならないと桑原はいう。この孔子の発言ないし行動の突飛さに孔子一門をひどく驚かせたに違いない。「だからこそこの篇の最初にこの章をおき、その名を篇の名としたに違いない」といい、意味深く受け取れると解説する。 この公冶長篇は人物論28章からなる。

   

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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【朋友に数からんとすれば、斯ち疏ぜらる】 Vol.95 ~マー君と野村監督

 

 子游曰わく、君に事(つか)えて数(はや)からんとすれば、斯(すなわ)ち辱(はずかし)めらる。朋友に数からんとすれば、斯ち疏(うとん)ぜらる。(「里仁第四」26)

  

(解説)

子游の意見。主君に仕えてすぐ親しくなろうとすると、罪を得やすい。友人と交わってすぐ親しくなろうとすると、向こうが逃げてしまう。」論語 加地伸行

 

 桑原は、この章を次のようにいう。

ここはもっと常識的な観察で、相手を見て法をとけ、つまり正論をうるさがってこちらをうとんずるようなつまらぬ君主や馬鹿な友人には、ほどほどにしておくほうがよいというほどの意味であろう。(論語 桑原武夫

 

 

  自分の失敗からみると、加地、桑原の両説も腑に落ちる。

 起業しようとパートナーを求めたときのことを思い出すと、加地の解説を理解する。そのパートナーを追い求めすぎたことが躓きと思うと、桑原の説が身に染みてよく理解できる。今にして、その時を省みて、桑原説に従えば、追い求めたパートナーたちがつまらぬ人間ともいえる。こちらから、早く縁を切るべきだったと気づく。そう解釈すると、不思議に納得できる。

   

 田中将大がメジャーに行く前の野村克也監督との関係が理想なのかもしれない。

  

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子游」、姓は言、名は偃、字名が子游孔子より四十五歳年少の弟子。孔門十哲の一人。学問に秀れ、文学には子游といわれる。礼の形式を重んずる客観派の一人ともされる。子夏学派が礼の形式に流れたのに対して、子游は「礼の精神」を強調する。 

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

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論語 (ちくま文庫)

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「青天を衝け」の渋沢栄一と劉備玄徳【徳孤ならず、必ず鄰有り】 Vol.94

 

 子曰わく、徳孤ならず、必ず鄰(となり)有り。(「里仁第四」25)

  

(解説)

「人格のすぐれている人は、けっして独りではない。必ず人が集まってくる。」論語 加地伸行

 

  劉備玄徳、多くの人材を集め、蜀を建国とした。三国志では、徳の人として描かれる。作家 北方謙三が描く劉備玄徳像は少し違う。

北方の著作「三国志」の劉備玄徳はどちらかといえば、激昂タイプ。劉備のまわりに集まった人間が徳があるよう振舞うことを求めたように描く。劉備の取り巻きは、「徳」重要性を認識していたのかもしれない。もしかして彼らも論語を学んでいたとしておかしくはなかろう。

 遠い過去のこと、何が史実かわからない。蜀という国が存在し、人材がそこに集まっていたということは事実なのかもしれない。

 

 

 幕末の志士から日本資本主義の父と言われるまでに成長した渋沢栄一。残る記録も多い。論語を愛読し、「論語と算盤」という著作を残している。 

徳孤ならず、必ず鄰有り 

 栄一は生まれながら徳をもっていたのだろうか。高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちにして倒幕しようとした尊王攘夷派の志士だった栄一は、いつの間にか慶喜の家臣の一員に加わっていた。そうした姿からすれば、徳は後々に体得したと思うのが自然であろう。若いときに学んだ論語を、時々の境遇の中で実践、智慧に昇華させていったのかもしれない。

 

 桑原は、「徳」とは、道徳であると解説する。

「道徳とは特定の社会の風習を踏まえて、その法則的理念化として生まれるものである。したがって道徳が個人的特殊性の中に限界づけられるということは、矛盾であり、ありえないはずである。しかし、現実社会では道徳は個人を媒介にしてしか発現されることはなく、そのさい個人のもつ内外の諸条件によって、変容することもまた明らかである」と指摘する。

 

 栄一が関与し立ち上がった企業は数多く、今なお事業を続ける。こうした記録は残っている。そうした事実と照らし合わせれば、徳の人渋沢栄一も、また事実なのだろう。

 乱れた世の中で道徳、論語の理想を貫くことは、一見孤立無援の闘いのようだが、もともと普遍的ものである道徳には必ず同行者、理解者つまり友があるという確信を孔子はこの章で表明する。

 その栄一は、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」に描かれることになった。どんなストーリーになるのか、今から楽しみである。 

  

 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

 

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【君子は言に訥にして、行ないに敏ならんことを欲す】グレタ・トゥンベリとグローバル気候マーチ Vol.93

 

  子曰わく、君子は言に訥(とつ)にして、行ないに敏ならんことを欲す。(「里仁第四」24)

  

(解説)

「君子教養人は、口下手ではあっても、人の道はすぐに実践したいと願う。」論語 加地伸行

 

「訥」、遅鈍を意味する。

   君子は口は無調法でも行動は敏捷でありたいと思うべきである。これは訥弁の評価ではなかろうと桑原はいう。君子がおしゃべりでも困るが、自分の思うところを明快率直に伝達しうることは古代でも評価されたに違いないと解説する。

 

「関連文書」

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 アスペルガー症候群のひとりの少女が起こした行動が、世界各地に拡散した。

 グレタ・トゥンベリとグローバル気候マーチ。COP25を前に、11月29日世界でグローバル気候マーチのデモが行われた。 

 

 

君子は言に訥にして、行ないに敏ならんことを欲す 

 We cannot just say we care; we must show it.

 

 弁舌のことはしばらくおき、実践行動は思い切りよく、かつスマートであってほしいと、行動の方に力点をかけ、言おうとしたのではないかと桑原はみる。さらに、孔子の理想は、密室の冥想家にはなく、人々のために「善」を敢行する実践者にあったことを示しているという。

 

 ひとりの少女が始めた行動が、世界を動かし始めている。

 

 

(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  
論語 (ちくま文庫)

論語 (ちくま文庫)

  • 作者:桑原 武夫
  • 発売日: 1985/12/01
  • メディア: 文庫
 

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破産しても立ち上がる人たち リンカーン大統領【約を以て之を失う者は、鮮なし】 Vol.92

 

 子曰わく、約を以て之を失う者は、鮮(すく)なし。(「里仁第四」23)

  

(解説)

「貧困(約)ならば、それ以上、もう失うものはない。」論語 加地伸行

 

 あの偉大な16代米大統領エイブラハム・リンカーンは、大統領になる前に破産していた。

 どん底の苦境に陥る。そんな経験をすることがひとつの契機になるのだろうか。

自己破産などを経験しながら、そこから立ち上がり成功した人が大勢いる。

 

エイブラハム・リンカーン——商売には向いていなかった大統領

第16代目米国大統領も破産経験者だ。1823年、友人とともにイリノイ州で雑貨店を始めたものの、売上が伸びず頭をかかえていた。さらに運の悪いことに共同経営者だった友人が他界。膨れあがった負債(1000ドル=約3万ドル)をひとりで返済する羽目におちいった。

負債は免除されなかったものの、破産宣告によって返済の整理が許可されたことが経済的再生につながった。1840年代にようやく負債を全額返済し、1861年米国大統領となったリンカーン氏は(USリーガル )、「失敗自体は大したことではない、そこから立ち上がることが重要だ(Good Readsより )」との名言を残している。

moneytimes.jp

 

 リンカーンの言葉と論語に共通性をみる。

 

「約を以て之を失う者は、鮮なし」

 

「 失敗自体は大したことではない、そこから立ち上がることが重要だ」

  

 

 

  「倹約」「節約」「約(つま)しい」などのことばがあるように、「約」にはひかえめにするという意味もある。

 何事においても、「節約」「倹約」の精神を以てすれば失うことはないとも読める。

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(参考文献)  

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)