親孝行について
子游孝を問う。子曰わく、今の孝は、是れ能(よ)く養うを謂う。犬馬に至るも、皆能く養う有り。何を以て別(わか)たんや、と。(「為政第二」7)
(意味)
「門人の子游が孝の意味をおたずしたところ、孔子はこう答えた。「近ごろの孝は、親をただ食わせているだけだ。人間は犬や馬だって食わせているな。(それだけなら同じことではないか。)父母に対して尊敬するということがなければ、どこで区別できよう。」(論語 加地伸行)
この章には二つの読みがあると桑原はいう。第一は、加地と同じ内容で、もうひとつは、人間に奉仕すること。
第二の説は、人間は両親に奉仕する。しかし、犬は家の番をし、馬は人の労働の代理をする。人間に奉仕するというかぎり、同じことではないか。敬愛の気持ちが無ければ、どうして区別できよう、と読む。(論語 桑原武夫)
どちらを採用するかは個人次第。どちらも、敬う、敬愛の気持ちが大切とはいっている。
また、桑原は、孔子は孝を定義しようとしているのではなく、道徳律として説いていると指摘する。この為政の章にはいくつか孝についての表現が出てくる。比べてみるのもよいかと思う。
「子游」、姓は言、名は偃、字名が子游。孔子より四十五歳年少の弟子。孔門十哲の一人。学問に秀れ、文学には子游といわれる。礼の形式を重んずる客観派の一人ともされる。子夏学派が礼の形式に流れたのに対して、子游は「礼の精神」を強調する。
(参考文献)