曾子(そうし)曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり。孟荘子(もうそうし)の孝や、其の他は能(よ)くす可きも、其の父の臣と父の政とを改めざる、是(これ)能くし難し、と。(「子張第十九」18)
(解説)
曾子の言葉。「私は孔子からこのことを学んだ。孟荘子の孝において、その他のことはできるが、亡父の臣であることとその政治を改めなかったことについては、とても出来そうにない」と。 (論語 加地伸行)
「孟荘子」、魯国の丈夫、仲孫速(ちゅうそんそく)。父は孟献子(もうけんし)で、賢人。
曾子が孔子から学んだことは、「父在(いま)せばその志を観(み)、父没すればその行いを観よ。三年父の道を改むる無きを、孝と謂(い)う可し」(「学而第一」11)のことであろうか。
ひとたび父が亡くなったあかつきには、生前の営みをなつかしく想起し、その意のあるところを推察して、これに見習う。父を敬愛しているから三年の服喪の間は、父のやり方を改める気持ちにはならない。そういうのを孝行息子と考えていいのではないか。 (論語 桑原武夫)
「曾子」、姓は曾、名は参。字名は子與。親孝行で有名だという。孔子より46歳年少で門下の年少グループに属したが、孔子の死後やがてその学団の長となって、儒教の正統を伝えた人といわれる。曾子から子思(しし:孔子の孫)へ、さらに性善説の孟子へと伝わったといわれる。
「関連文書」
(参考文献)