「論語を現代に活かす」 時代を超えて読まれた名著

未来はすべて次なる世代のためにある

噛み合わない議論、遅れる改革、分断や憎悪を煽る低レベルな言動続く

 世を驚かすような事件が政治の場で起きました。政治が自ら襟元を正し、フェアに公正さを回復するよう努めさえすればいいはずのですが、どうにもそれができないのが、残念でなりません。

自民党・鈴木馨祐氏、政治資金規正法改正の野党案「自民党の力をそぐ狙い」 - 日本経済新聞

 後半国会の焦点となる政治資金規正法の改正など政治改革について議論するNHKの討論番組で、自民党の政治刷新本部作業部会の座長を務める鈴木馨祐氏が「再発防止と自民党の力をそぎたいという政局的な話がごっちゃになっている」と述べたそうです。あくまでも、企業・団体献金の廃止や政治資金パーティーの制限などに反対の立場を貫きたいといいたかったそうです。

 

 

 古い慣習に縛られたままで自分たちの悪さ加減に全く気付けないでいるのでしょうか。これではとても政治改革が進むことはなそうです。

悪は存在しない

 環境問題を取り上げた映画「悪は存在しない」を制作した濱口竜介監督は、映画を作ってわかったのは、環境問題は身近な暮らしの問題だったと気づいたといいます。

濱口竜介監督が問う自然との共生「環境問題に関心があるのか?と聞かれるが、これは身近な暮らしの問題」 | ハフポスト アートとカルチャー

環境問題と言われると、自分が中心にいてその周縁にある、自分とはちょっと距離のある問題と捉えられがちなんですけど、自分の身体だって自然のものだし、それについて考えることは大袈裟なことじゃない。一人ひとりの話、自分の問題として普通に考えるべきこととして捉えています。だって、ここ数十年ほど気候をはじめどう考えても危うい変化をしていますよね。(出所:ハフポスト)

 もしかしたら環境問題も、政治の問題も同じ類いの問題なのかなと感じたりもします。気づけばここ数年、何だかよくわからないが社会の雰囲気は悪化する一方だし、経済状態も芳しくない、まして良い方向に進んでいると実感することはありません。そんなときに「なぜ」と問えば、もしかして政治の問題なのかと思えなくもありません。ここ最近の政治の混乱からしてそう思えてきます。

 

 

通り一遍のプレゼン資料の提示に始まり、地元住民から容赦ない質問の嵐が浴びせられ、東京からやってきた高橋らは上手く答えることができない。(出所:ハフポスト)

「悪は存在しない」では、こんなシーンが描かれているそうです。

都会の企業が本業ではないグランピング場の計画を持ってきて、それが土地の実態をほとんど考慮していなかった。住民たちは批判するというよりも疑問を呈していたんですが、説明はどんどん崩壊していったそうで、結局その人たちは来なくなってしまったと。(出所:ハフポスト)

 企業の説明も国会審議も同類なのかもしれません。


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論語に学ぶ

子 四(し)を絶つ。意なる毋(なか)れ、必(ひつ)なる毋れ、固なる毋れ、我(が)なる毋れ、と。(「子罕第九」4)

 孔子は次の四つを絶ちました。「己の意ばかりになるな」、「決めたことにこだわるな」、「執着するな」、「利己的になるな。」

dsupplying.hatenadiary.jp

 簡単そうに思えても、意外に困難なことなのかもしれません。そうできないと眼鏡が曇り、いつの間にか「悪」が存在するようになって、不要に対立したり、憎悪するようになるのかもしれません。そうして目指すべき理解とか調和からどんどんズレていくのでしょう。そこに権力争いみたいなことが含まれてくるとさらに雲行きは怪しくなり、本末転倒な現実が生まれるようになりそうです。

 

 

 結論を見出すことのない議論、それを何とかまとめようとする苦々しい経験を機会にできれば、そうすべきなのでしょうが、人間性を高めなければならないと悟れたり、また様々な技術やスキルを磨くことの必要性も感じるようになるのでしょう。またそれを生業の糧にできればいいのでしょう。しかし、そう上手くできないのも人ということでありそうですが。

 ものごとを良くしていこうとするときに用いられる手法は今も昔も大きな差はないと思います。何かを変えなければ良くなることはないのですから。ただ変えるためのアプローチがその環境の違いから今と昔では多少異なることになるのでしょう。

 

 

「参考文書」

自民・鈴木馨祐氏「自民の力をそぎたい政局的な話」 野党側は猛反論 [自民]:朝日新聞デジタル