F1世界選手権「モナコグランプリ」、米国で開催される「インディ500」、仏での「ル・マン24時間レース」、自動車の世界3大レースといわれる大会が続いています。
これらのレースにおいても今では環境対応は無視できず、どの大会においても、走行するクルマはハイブリッド対応になっています。ある意味では先進環境技術を具現化させ、その信頼性を披露する場になっているといってもいいのでしょうか。
6月10日から始まるFIA世界耐久選手権「ル・マン24時間レース」においても、2026年から水素カテゴリーが設定されることになったといます。
ルマン24時間レースに水素エンジン車の参戦が可能に、2026年から水素カテゴリーを設定 | レスポンス(Response.jp)
記事によれば、2030年にはトップカテゴリの参戦車が全て水素エネルギー車になることを目指しているそうです。
そのル・マン24時間レースを5連覇し、環境にやさしいといわれる水素カーの実用化と普及を目指しているトヨタ自動車が批判されています。
米カルパースなどがトヨタ会長の取締役再選に反対、株主総会で | ロイター
トヨタは近年、走行時に二酸化炭素を出さない電気のみで走る電気自動車(EV)の投入が遅いとして環境志向の投資家や活動家から批判されており、批判の矛先はコーポレート・ガバナンス(企業統治)の問題にまで及んでいる。(出所:ロイター)
この批判に対し、トヨタは、脱炭素社会の実現は、各国の電力事情に応じてEVだけでなく、ハイブリッド車、水素で走る燃料電池車など、さまざまな手段で臨むべきと主張します。
トヨタの株主総会が6月14日に開かれますが、米国最大の公的年金基金カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)などの公的年金基金が、豊田会長の取締役再選に反対票を投じるそうです。ニューヨーク市の会計検査院が監督する公的年金基金も反対するといいます。
その理由として「トヨタの取締役会は十分に独立していない」と説明していると報じられています。
また、欧州の年金運用3社は、気候変動に関する株主提案を行い、トヨタの気候変動関連の情報開示は「投資家の期待に照らして不十分」と指摘、気候変動に関する渉外活動報告書を作るよう定款の規定追加を求めているといいます。各国政府へのロビー活動を開示することを求めているのでしょうか。
批判を受け入れる
季節外れの台風の影響で、列島各地に大雨の被害をもたらしました。これも気候変動の影響があるのでしょうか。こうした異常気象が頻発することを思えば、欧米の年金基金の主張も正論のように聞こえますし、またトヨタの現経営陣を批判して然るべきなのかもしれません。
批判は、進歩、進化には不可欠なものです。批判から建設的な対話が生まれ、それが言動で示されて、相互の理解が進んでいくのではないでしょうか。それによって、新しく生まれたテクノロジーが有益なものであると理解され、普及していくこともあるのでしょう。
対話の有用性
クルマを走らせることが好き、最新技術を競い合うレースが好き、そうした身からすれば、トヨタの選択肢は正しいようにも思えます。世界中がEV一色になる必要はないはずです。
しかし、成長分野のEVにもっと注力しろ、ましてそれが気候変動対策にもなるのだからという主張も理解できない訳ではありません。だからこそ対話が求められるのでしょう。
論語に学ぶ
子貢曰わく、貧にして諂うこと無く、富みて驕ること無くんば、如何、と。子曰わく、可なり。未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり、と。
子貢曰わく、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し、と。其れ斯の謂いなるか、と。子曰わく、賜や、始めて与に詩を言う可きのみ。諸に往を告げて、来を知る者なり、と。 (「学而第一」15)
弟子の子貢が孔子に「貧乏はしていても媚び諂うことなく、金持ちであっても高ぶらない、というのはいかがでしょうか」と尋ねると、孔子は「いいことだ、しかし、貧乏でありながら楽しく暮らし、金持で礼を好む者には及ばないだろう」と答えます。すると子貢は、すぐさま『詩経』の「衛風」の「淇奥(きいく)」の第一章を想起して「切磋琢磨」とはこのことを言うのでしょうかと尋ねます。
骨は「切」、象牙は「磋」、玉は「琢」、石は「磨」、道徳をいやがうえにもみがくという意味します。この詩は、衛の名君武公が人格修養につとめることを歌ったものとされています。
子貢は諂いと驕りのないことを最高と考えていましたが、孔子に教えられて、学問の道には終わりがないことを悟って、この詩を引用したのだといいます。
この子貢の態度を孔子はいたく喜び、お前はいっしょに詩の話ができる人間だとほめ、お前こそ物事を、そして、言葉を、次元を変えて飛躍的にとらえることのできるといったと意味します。
「諂」、へつらうとする解釈のほか、貧しさゆえに規範を守らないという解釈もあるといいます。また、正しくないこと、不義なども含有します。「往」は過去、「来」は未来を示すといいます。
自らレースに参加するほどのクルマ好きの経営者だからこそ描くことができる未来もあるのではないでしょうか。もちろんそこでは今求められている課題解決を図った上でのことですが。
「好き」が高じてこそ、難しい課題も解決しようとの原動力となり、進化、進歩につながっていくのではないかと思えます。またそこから楽しみが生まれるのではないでしょうか。
しかし、それでも投資家から信用され続けなければ、それを続けることはできません。そのために、誤解をさけるための言動もあるのでしょう。
規制当局である各国政府に、自らの主張の有用性を説くことは何もおかしなことでも何でもないはずです。ただそこでは「不義」であることとか、「諂い」があってはならないのでしょう。それを平然として、求める政府もあるようなので。
どんな対話、話し合いにあっても、切磋琢磨との態度があれば、それは有益なものになっていくのかもしれません。